Win98(se)-安定化    WinXPより 安定動作


    








 田中式/Win98se 超-安定動作 【証明ビデオ ・・ リソース残り 1%でも 安定動作。


画像+簡単な説明  【Win98se 極限の動作テスト】  このページの 後半


田中式/Win98(se) の 【驚異的な安定動作】 (WinXP も真っ青!。)




◆ 明治時代、 日本人は 中国・朝鮮について “洗脳”された。◆


【 要  約 】


明治政府は 経済基板も 求心力も 弱かった。 武家社会を脱するには、天皇への一極集中の 【忠誠心】 を国民に浸透させる必要が あった。
この “洗脳” が目的で、 【修身】なるものが創作された。
  (この 【修身による洗脳】は、 【北朝鮮の国民への洗脳】とは比較にならない程 凄かった。)

【修身】 は、 中国古来の “伝統ある思想・宗教・学問” とは 全く異質であり、 明治政府の都合で作られた “欠陥だらけの宗教”であった。
それから以後、
67才くらいまでの日本人(日朝条約時点)は、小学校へ入学すると、 毎日 この【修身】を唱和させられた。

【修身】が “欠陥だらけの宗教” であった事の証拠として、
“肉体的欠陥のある子供” に対して、 【修身】を指導する教師自身も “苛める側”であった〜〜ことが 珍しく無かった。


また、 この【修身】は、 中国/朝鮮/アジアを 侵略・占領するためにも利用された。


1万円札の 【福沢諭吉】 は、 新聞紙上で 【中国・朝鮮・アジア人劣った民族】である と評論した。

  (福沢諭吉の【脱亜論】。)


関東大震災の時、 日本人一般市民は 多くの在日朝鮮人を 【虐殺】 した。

【関東大震災】の時、日本人一般市民が “在日朝鮮人を 電柱に針金で縛り付け 殴る蹴る〜竹槍で突く” などの行為で 在日朝鮮人を殺した。
  ※『関東大震災 横浜記録』の P.83〜P.90。
    これは ↑日本人の手による記録である。多くの在日朝鮮人が殺されている。

【在日朝鮮人虐殺】に関しては 日本の新聞にも記録されている。↓

★関東大震災 の日 【殺された在日朝鮮人】の人数 . (福岡日々新聞、 河北新報、 東京日々新聞 などに基づく。)

    東京都 ・・・ 1300人 〜1400人。
    千葉県 ・・・ 約 350人。

この人数は 震災が原因で 【負傷〜死んだ】 在日朝鮮人の人数ではない。 警察官 と 日本人市民 が 【虐殺】 した在日朝鮮人の人数である。
また、 在日朝鮮人が犯罪を犯したために殺した訳でもない。 “ドサクサ”で 【虐殺】 したのである。
半数以上は 市民が虐殺した。
朝鮮人を殺そうとする市民を サーベルで制止した警察官も 一人か二人は いた。

  ※関東大震災 の発生日時 = 1923年9月1日 昼。
    (この日、全国で 何人の在日朝鮮人が殺されたかは、 調べるなり 想像されたし。)




島根中学校における 【中学生の“問題意識”】 (朝日新聞 より)






私には、 中国・朝鮮人の知人はいない。 中国・朝鮮人の “血” を引いてもいない。
朝鮮人を 【ひいき】する訳ではない。 単に、 恥知らずな日本人が多過ぎるので、 日本・日本人に失望しただけ。

2000年3月に HPを開設以来、 私は トップページで 【本名・住所】 を公開してきた。 2001年からは 本籍地も公開した。 ここにも、氏名・住所・本籍地を 書く。

◇氏名/田中方人  ◇住所/〒234-0054 神奈川県横浜市港南区港南台1−40−24
◇本籍地/島根県大原郡加茂町大字加茂中390



【侵略】の段取りとして、 国民の “朝鮮人を見下す意識” と “戦意発揚” の目的で 大阪城も利用 した。

   ※(豊臣秀吉の歴史〜【朝鮮出兵】にちなんで。)

【豊臣秀吉の歴史上の大阪城】は ここでは問題ではない。
【豊臣秀吉の朝鮮出兵】にちなみ、【朝鮮・中国 侵略】の象徴として日本軍が建設したのが 【昭和以降の大阪城】である。
豊臣秀吉の歴史に登場する大阪城は 大改修を経て 1868年に焼失しており、内部構造の資料も無かった。
“浮世絵” と 他の城の内部構造を参考に、 昭和初期に コンクリートで建設された“空想の大阪城”である。
  (【当時の設計チーフ】の子息が NHK_TVで証言した。)

この大阪城には 私も天守閣まで登ったことがある。 外観は 【城】に似せてあるが、中身は 【城】ではない。

この 【歴史的に価値の無い 大阪城】が、 数年前  税金を使って改築された。 これが 現在の大阪城である。

現在の大阪城は 朝日新聞社の【日本の名城百選】にも掲載された。
【豊臣秀吉の大阪城】としての内部構造の資料もなしに 【再建+改築】 されたのであるから、 豊臣秀吉の歴史を反映していない。
この大阪城の どこが “名城” なんだ?。 朝日新聞社も どうかしている。

こんな コンクリートの城を 税金で改築すれば、 朝鮮・中国の人々の神経を “逆なで” するようなものである。
無神経なのか、 恥知らずなのか・・・?。
改築された大阪城がTVで放映された時、 高名なジャーナリスト(T.T.氏) も TV画面の中で祝福していた。

善意に解釈すれば、【朝鮮・中国 侵略】の象徴としての大阪城を そのまま残しておきたくなかった。〜〜 とも解釈できる。
しかし、
朝鮮・中国の人々に対して 謝罪の気持ちがあるなら、【空想の大阪城】を単に破壊して 再建をせず、
【大阪城】とは無関係に、純粋に【朝鮮・中国 侵略の歴史】 を現す 資料館 を建設すべきであろう。
妥協することの嫌いな ドイツ人は 国家レベルでも 民間企業レベルでも ↑ それを行った。
あいまいに誤魔化して “表面的にとり繕う”ことが好きな日本人は それをやらない。

その後、 大阪城に関して ここに書いた内容のようなTV報道には お目にかからなかった。
 (改築を喜ぶ人々 と 祝福するTV番組はあった。)

私は思った。 『あ、 日本人って、 【戦争犯罪】 を犯した〜という意識が無いんだな。 (ウスラ馬鹿。)』 と。


洗脳された日本人は 中国/朝鮮を 侵略・占領・搾取した。 特に 朝鮮に対しては、日本人全体が 彼等を侮蔑して 差別 した。

日本人の多くは、在日中国人・在日朝鮮人を “チャンコロ”と呼んで差別した。

  (詳しくは 後述。)


日本軍は、 中国/朝鮮/アジア各地の 【遺跡・寺院】 などの一部を切り崩 し、大きな石として 数多く 没収 した。

旧日本軍は、 中国/朝鮮/アジア各地の 【遺跡・寺院】 などの一部を切り崩し、大きな石として 数多く 没収 した。
例えば、
中国の泰山にある寺院の 【礼拝廟】からも 切り崩して持って来ている。
【泰山】は 中国人の信仰の対象であり、一日に数十万人が訪れる。 秦の始皇帝も、【泰山】で「皇帝即位」の儀式を行った・・と記憶している。

仮に、 日本の 【法隆寺 ・ 靖国神社】 など 名だたる遺跡や寺院の “重要な部分” を切り崩されたら、 どんな気がするだろうか?。
しかも、 戦後 数十年を経過しても返さないなんて・・・。
アメリカは 京都・奈良は爆撃しなかったが、 日本人の感覚では、 そういう場所を狙って 【精神的ダメージ】を与える発想をするようだ。

日本軍は、 没収 した石 を使って、九州の宮崎に 【塔】 を建てた。
この【塔】は 現在も存在するが、 色々な地域から持って来た “石” で建設されたため、 建物全体が “モザイク状” になっている。
建物の外観の印象は、 【塔】の本体の足元部分に たくさんの“石” が寄り添い、従うような恰好となっている。

戦後  中国の人々が何十年も前から 何度か 「返還」 を求めたが、 日本は返さなかった。

昭和39年の東京オリンピックで、【聖火リレー出発点】として この塔が利用された。
NHK_TVのアナウンサーは、 『この塔は、アジア各地の同胞から贈られた石材で作られた。』 と放送した。
このシーンは 後に 何度か再放送されている。
  ※私は思う。 【寄付】する時、 自分の意思で “立方体の形”に切り崩すだろうか?。
    残った建造物が “傷もの” となり、 価値が無くなる。 【寄付】するなら、 建物を 丸々寄付して 「有効な活用」を願うハズである。
    (どこの国でも、【遺跡・美術品の寄贈】では 常識でしょ。)


戦後 この【塔】の内部が 公開された事は無かったようだ。 近年 TV撮影が許可され、NHKで放映された。 ↓

【軍国主義/日本 を象徴する絵画】 が何点か並べて飾られていた。 まず、日本の神話(神教?)の出発点である 【天照大神】らしき絵 がある。
〜〜〜最後の絵は 【立派そうな人物】 が中央に大きく描かれている。
その足元に、日本人と中国人と東南アジア人と思える3人の子供が囲んで寄り添い、 【立派そうな人物】の頭上には、 【零式戦闘機】 と 【戦艦大和】 が描かれていた。
そして、 没収した “石” も これに参列させているのであろうか?。


【侵略・占領】し、国家レベルで経済的に搾取し、強制連行した数十万人の朝鮮人(韓国・北朝鮮)を 【死】に追いやっている。

  (日韓併合−朝鮮の占領・植民地化)

朝鮮の人々は、 朝鮮に住んでいても、日本軍の手によって 日本流の名前に改名させられ、数十年にわたって 本来の氏名を名乗ることを許されなかった。

そして、 強制的に 日本語をしゃべらされ、学校では 強制的に 日本語を習得させられた。

オリンピック陸上マラソンの 瀬古選手 を育てた 中村監督は、 こうして 【占領地_朝鮮】で育った朝鮮人の一人である。
中村(清?)さんは、 朝鮮から 片道切符で 内地 (日本本土)へ来たあと、 九州から 東京まで “飲まず食わず”で 素足で歩いた。
  (片道切符の【船賃】 は 全校生徒によるカンパであった。)
そして、 中学陸上大会に 素足 で出場し、日本記録を打ち立てた直後 バッタリと倒れた。(栄養失調。)
偶然 この光景を見ていた早稲田大学の教授の手によって 病院に担ぎ込まれた。
もともと “飲まず食わず”で育った中村さんは、 病院で治療された事に深く感謝し、その後の人生が 【陸上漬け】となった。

旧-日本軍の行為について、 バッサリと 否定する学者(日本人)もいる。
しかし、 日本軍の 【細菌兵器−人体実験】 や 【マスタード爆弾】 などに関して、 “日本人証言者(従軍した兵士)” も存在する。

  ※太平洋戦争終戦の時、 中国に居留していた日本の軍隊が 【マスタード爆弾】を地下に埋めて隠した。
    戦後 中国経済の発展にともなう “ビル建設” などで これが工事中に爆発して被害者が出たりしている。


●右翼的な日本人学者の誰かが 『日本軍は マスタード爆弾など作っていなかった。』 と 主張していたが・・・。

  見ろ、 【ヒ素】の兵器を裏付けるものが 茨城県で 出た じゃないか!。


天皇が かつて 中国・韓国を訪問した時も、 『遺憾であった』 と表現しただけである。 ←日本語の『遺憾』という言葉には 【謝罪】の意味は 定義されていない。

  ※【広辞苑】 によれば、 『思い通りに行かず 心残り。 残念。 気の毒。』 という意味。
    「申し訳なかった」 という意味は 無い。
     つまり、 『遺憾であった』 という表現は 【加害者が 被害者に対して言うべき言葉】 ではない。

サリン事件の【被害者】 に対して 加害者が 『残念でしたね。気の毒でしたね。』 と言っているのと同じである。


【満州侵略】の当時 日本軍は多数の中国人も殺したが、日本人の多くは 過去の事など知らぬ顔で 韓国・中国を観光旅行している。
看護婦を数百人も殺した相手国オーストラリアを旅行しても、それらの石碑を慰霊する日本人は 滅多にいない。


政治家たちは 色々と承知していながら、国民の目をそらせ続けた。 馬鹿な日本人は、 戦後も まんまと操られた。

都合の悪いことから “目をそらす習性” のある日本人は、 自国の先輩が犯した 【太平洋戦争=侵略戦争】としての 罪の重さを 自覚 していない。
そして、 馬鹿な日本人は、 太平洋戦争より前に 中国/朝鮮を侵略していた事も 忘れている。
 (「たまたま 戦争が起きて 負けた」〜くらいにしか感じていない。)


北朝鮮は、確かに “国際社会” の中にあって 批判されても 当然である。

日本は【謝罪・事態の解決】を 北朝鮮に対して要求しても良い。 しかし、北朝鮮に対 して 日本人はその前に【謝罪】 し、
やり残したママにしている事を解決すべきである。
今の日本は それをしないから、 状況が こじれてしまう。
このまま行けば、 【イスラエル・シリア紛争】 と似た状況となって、“解決不能” となる可能性が高い。


【国家 対 国家】として 北朝鮮の態度を分析すれば、あれは 国家元首が“愚か者”であり、北朝鮮の国民を洗脳している。
あれを 丸々そのまま批判するなら、かつての日本人は もっと苛烈だった。
しかし、 戦後 何十年もの間 “謝罪の気持ち”を持たない日本人に対して 北朝鮮は 腹を立てている。
要するに 北朝鮮は “仕返し” しているのであって、 100人の日本人を拉致して殺したくらいでは 【腹の虫】 が納まらない〜〜という事。


仮に 北朝鮮が300人の日本人を拉致し、20人の日本人を殺したとしても、
北朝鮮だけを 一方的に 【悪者】 として非難する権利が日本にあるのか?。
マスコミ・知識人を始め、 日本人は、【日本人拉致問題・喜び組】について批判するついでに【北朝鮮の 風俗・社会状況】 までも 批判・非難する。
何百年も前から “日本=紳士的な国家” であるかのように、北朝鮮の諸々を批判・非難する。(【日本人拉致問題】以外の事で。)

北朝鮮の【日本人拉致問題・喜び組】に関して、各TV局は それぞれ100回ずつ以上は放映し、北朝鮮を責めている。
  (【日朝問題】の大義名分で。)
【日朝問題】の解決のために、【日本人拉致問題・喜び組】の報道を これほど頻繁に行なう必要があるか?。
  (将来も【日朝問題】は解決しないだろう。)
【日朝問題】に関して真剣に考えるのなら、なぜ 日本側の“非”に触れないのか?。
  (将来、日本は 諸外国から“卑怯者”として評価される。)
北朝鮮の【喜び組】の映像報道については、 私が知る限りでも 数十回は 繰り返し 放映している。
そして、 同席したジャーナリストは 口をそろえて 『許せない』 とコメントする。
 (北朝鮮が 北朝鮮の女性(喜び組)に肉体奉仕させても、 対外的な犯罪ではない。)

【日本人拉致問題・喜び組】等の こんな報道番組を“野放し”にしておくことは 【日朝問題】の解決のためには 逆効果である。
【日朝問題】を解決したければ、TV局は、こんな“弱い者イジメ”のようなやり方をしてはならない。
若い世代の多くは 【過去の日朝問題(日韓併合−朝鮮の植民地化)】を知らない。
TV局の報道する日本人拉致問題の日朝問題報道を見て「日朝問題とは〜」と 認識してしまう。


中国/朝鮮/アジア各地の 【遺跡・寺院】 から切り崩した 石 で 自国に【塔】を建て、【ゼロ戦・戦艦大和】に 跪かせる・・・これは 許せるのか?。
しかも、 戦後  「返還」を要求されても 何十年も返さない・・・これも 許せるのか?。

ば〜か、、 立派なことを言う前に 返還すべきだろうが・・。


馬鹿な日本人は、 何事も 『事実関係がどうであるか〜』 を検討するよりも 【唱える人の 肩書き】 で判断する。
学者やジャーナリスト達は ここに 付け込んでいる。
そうでないなら、 『許せないですネ』 と ジャーナリストに 一言コメントさせるために同席させる必要は無い。


『都合の悪い部分には触れずに、 都合の良い部分だけを 拡大し、 巧妙に理屈を付けて 強調する』・・・
これは、 2chネラーの 【荒らしの手口】 と比べて、 基本的に 同じ手法である。
どうして、 こんなに ずるい人間ばかり多くなったのか?。 それとも、 【 “修身” を唱和させられて育った世代】 が TV放映の裏で 糸を引いているのか?・・・。

TV・マスコミ の報道が 国民世論を正しく反映していないと 仮定しても、 中国・朝鮮・アジアの人々は そのようには受け止めない。
また、 日本人は TV・マスコミ の報道に影響を受ける度合いが大きい。
その意味で TV・マスコミ の責任は大きいのに、 TV・マスコミ報道関係者 は あまりにも 馬鹿が多過ぎる。


国際的な地位の低い【北朝鮮】 に対して、 いま 国民として 【モラル】 を守っておかないと、

20年〜25年後、 日本の国力が低下した時に、 【中国・韓・朝】 の連合で “仕返し” される。

  ( その時、 アメリカにとって、 日本よりも 中国の方が “ズ〜っと 大切な国” になっている。)


日本人として どう対処すべきか?。 【子供同士の喧嘩】で考えれば良い。
自分の息子2人が 【兄弟喧嘩】 をした時、 どう対処するだろうか・・・。 『訳もなく 先に殴った方が 謝りなさい。』 と指示するハズである。
【先に殴った方】 に謝罪させずに “仕返し”をした方にだけ 謝罪させるのは、 無理難題である。
これは 【賠償金】 とは別の話である。


それとも、 『相手国の “国際的地位” が低ければ 構わない』 ・・ と考えるのだろうか?。
そうであるなら、
【米国・イラク問題】では 理想論・博愛主義的な見解の 【日本国民の世論】 は、 相手国家の “地位” に応じて 【2枚舌】 を使っている事になる。

↑ この事に関しては、 【北朝鮮問題】+【イラク問題】 に潜む 日本国民の “矛盾、2枚舌” のページを閲覧されたし。



この後の 【本論】 では、 “在日朝鮮人の食べ物” ・・ 戦争中の 【スイトン 〜 食料事情】 ・・ 【市民の 燃料事情】 などに焦点を当てる。

生活に密着した部分は 【歴史的な もみ消し】を出来ないので、 学者も ゴマカシが効かない。
【修身 の由来】 と 【古代中国の歴史】 と 【神社】 との関連性にも焦点を当てる。
  (キーワードは、 【杜に囲まれた社】、【天照大神】、【自然崇拝】、【郡県制度】、【五穀豊穣】、【戸籍簿】 など。)


以下、 【本論】 へ続 く。  (【本論】は ちょっと下の方。)




無料ダウンロード・・・【田中式処置 〜 Win98(se) 安定化の手順書】 (半自動) ★



Win98の 【極限】 の動作テスト。

“田中式/Win98se の超-安定動作” を 【公開ビデオ】 で証明!。 【リソース残り=1%】でも 安定動作。

27分の【動作テスト】 を録画 ・・・ 【ビデオ】 を ダウンロード出来ます。
クリック  クリック



田中式処置を実行 ⇒ Win98 安定化の後、 【28のタスクを同時に実行・・エラー無し・・完走。】 ←ビデオ録画。
 
ビデオからの切り出し画像 30枚で 【ハードウェア構成】 と 【動作テスト手順】 を紹介。

動作テスト 最後の9分間 は、 レッドゾーン 及び それを 通り越した状態 での作業。





画像+簡単な説明  【Win98se 極限の動作テスト】  このページの 後半





 告発!












★ 【日朝条約】 と 【日本人拉致問題】について ★   (2002.10.7)

日本が朝鮮を植民地化していた当時、 私の母は、日本人(将校)が ある在日朝鮮人をサーベルで切り殺す現場を目撃しています。





【 本  論 】


さて、私の祖先に朝鮮人の血は混じっていません。(五百年も六百年も前はどうか知りませんが・・)
私の母は大正9年生まれであり、朝鮮人の知人もいました。
  ※私の母は かなり年を食ってから私を出産しました。 母は娘の頃に 賀川豊彦のカバン持ちをしていた事もあります。 
    賀川豊彦を知らない方も多いでしょうが、 有名な【死線を越えて】の著者です。
    あとは ネットで調べて下さい。

日本が朝鮮を占領(日韓併合)し 植民地化していた当時の事ですが、
私の母は、日本人(将校)が ある在日朝鮮人をサーベルで切り殺す現場を目撃しています。
理由は、何かちょっとした事で この朝鮮人が疑わしい状況にあったらしいのですが、
問い質された時 この朝鮮人の返答の仕方が 将校にとって“癇に触る言い方”だったらしいです。
内地(日本国内)での出来事でした。
切り殺した側の論理としては 『無礼者!』・・といったところでしょうが、
この数十年前に 島津藩士が 大名行列に敬意を表しなかったとして イギリス人を切った【生麦事件】と比べて、
本質的に あまり変わらないように感じます。

【生麦事件】の時は 国家として圧倒的にイギリスが優位なので “事件”になりましたが、
日本国内で 将校が在日朝鮮人を切り殺した場合は 国家としての力関係が逆ですから 事件にもなりません。


『関東大震災 横浜記録』の P.83〜P.90に次のように記録されているとの事です。
 『地震が起きた後、〜〜 日本人が 在日朝鮮人を 電柱に針金で縛り付け 殴る蹴る〜竹槍で突く・・といった情景が繰り広げられた・・。』
(横浜市中村町での出来事。)
大岡川・中村川・堀川周辺での犠牲者は相当多数に上ったらしいです。
  ※竹槍で突いた・・という事は、軍人が上官に命令されて行ったのではなく、加害者は民間人でしょう。


平成になってからの大阪城の再建は、喜ばしい事として 複数のTVで放映されました。
ニュース番組で 筑紫哲也氏も満面の笑みで対応していましたし、皆さんの記憶にも新しいことでしょう。
しかし、在日の朝鮮人は、これを苦々しい思いで見ていたでしょう。

大阪城は 昔々に燃えてしまっていたのですが、昭和の初期に再建されたものです。
この時の大阪城再建は、
豊臣秀吉の朝鮮出兵(侵略)にちなみ、日本人の「戦意」と「朝鮮人を見下す意識」の高揚を狙って、
その象徴として、日本軍が「昭和の初期」にコンクリートで建設した物です。
日本人の多くは 朝鮮人を“犬猫レベルに近い人種”として蔑視していました。
 (在日の中国・朝鮮人を“チャンコロ”と呼んで差別していました。)

【昭和初期の大阪城再建に携わった設計チーフ】の子息の話(NHKテレビ)によれば、
昔々に大阪城が燃えた時点で 【構造の資料】は失われており、「他の城の構造」と「大阪城の浮世絵」を参考にして「想像で建設」された物です。
私は 平成になって再建される“前”の大阪城に登った事があります。
この大阪城は 外から遠目に見れば“城郭建築”のように見えますが、基本的に コンクリート建築物です。

つまり、大阪城は、昭和初期の時点で すでに「歴史的な建造物」ではないのです。
ドイツのように 朝鮮侵略を謝罪・反省する形で再建するのであれば別ですが、そうでなければ 税金を使って復旧すべき物ではありません。
  ※法隆寺は【世界遺産】に指定されていますが、
   何度も改修されているので、世界遺産として評価することに 異を唱える外国人学者もいます。
「大阪城の復旧のニュース」のしばらく後、
朝日新聞社が “日本の名城百選”という百科事典を出版しました。この中に、大阪城も堂々と入っています。
 (恥ずかしい話です。)


残された直接的な資料や表面的な事象だけにとらわれずに、
当時の時代状況や“当時の日本人の気質”という物も含めて 総合的に考えれば、
日本人の 朝鮮人に対する“差別”が どのようなものであったか、自然に浮き上がってきます。

 ※話が逸れますが、ついでですので、豊臣秀吉について 少し触れておきます。
  学校の【いじめ問題】はなかなか改善されないようですが、特定の地域だけに“悪い生徒”が多い訳ではないのです。
  昔から、日本人は 「寄らば大樹の陰」という言葉が好きで、“長いものには巻かれろ”という諺もあります。「村八分」という言葉もあります。
  つまり、
  「正しいか 正しくないか」ではなく、人数の多いほうに味方するのです。(農耕民族の特徴。)
  そのような“流される人間”が多い地域では 学校の【いじめ問題】も深刻化するのでしょう。
  こんな事では、“真の民主主義”なんて 夢のまた夢です。
  そして、日本人に このような“腰抜け”が多くなった事の最大の原因を作ったのは、豊臣秀吉です。
   (「え〜?」、と思う人は歴史を勉強して下さい。)
  豊臣秀吉の欠点だけを指摘するツモリはありませんが、
  豊臣秀吉の歴史ドラマは“高視聴率”を獲得しますし、NHKも【大河ドラマ】などで彼を美化して放映している事は 残念なことです。



日本軍に強制連行された朝鮮人は 主に【炭坑労働者】として強制労働させられました。
当時の日本の人口は7〜8000万人(?)程度であり、
太平洋戦争の前から戦争の繰り返しで 慢性的な“肉体労働者不足”でした。成年男子は 赤紙1枚で戦争に徴集されました。
当時は 中近東の油田も無く、石炭は重要なエネルギー源でした。
鉄道列車も石炭で走っており、石炭の地位は高く 絶対に必要なものでした。
17才程度の若年世代までも戦争に徴集されていたわけですから、肉体労働者を“占領/植民地”から確保するのは 必然的な成り行きです。

  ※『日本は そんな事やっていない』・・との主張は 理屈に合いません。
   日本人ですら 赤紙1枚で戦争に徴集されていたのです。戦争末期は16才程度の少年も徴集されました。
   少年兵達は ロクな訓練も受けていませんでした。
   【ゼロ戦】に片道分の燃料を積み、最初から 米軍艦に“体当たり”する事を目的として出撃して行きました。
   戦死しても 小さな“紙切れ1枚”で通知されるだけです。(詳しい報告なんかありません。)
   ましてや、植民地化し 蔑視する対象であった朝鮮人に対し、日本軍が“民主的”な対応をしたハズがありません。

  ※【関東大震災】の一日で 日本人市民が 2000人以上の朝鮮人を 市街で虐殺するような世相にあって、
   【強制連行〜炭坑労働】という隔離された環境で、(鉄砲で監視する状況で) 日本人が朝鮮人を全く殺さなかったハズがありません。

  ※これ↓は証拠付けて話すことは出来ませんが、港南台に住む年配者(日本人)の話です。
   この方は 戦前 北海道で住んでいたのですが、すぐ近くに炭坑があり、強制連行された朝鮮人労働者をよく見かけたそうです。
   そして、この方の話では、朝鮮人労働者は ロクに食べ物も与えられず、
   体力が低下して病気になった朝鮮人労働者は 炭坑の奥深くで【爆破】によって まとめて殺されたそうです。
   今日も TVで【日本人拉致問題】で被害に遭った家族の方が 『人命を軽視する北朝鮮は許せない』と話していました。


当時の日本で 石炭が どれほど重要な物であったか・・を物語る“母の体験”をお話ししましょう。
終戦の一年〜半年前の頃の状況です。
私のふるさと【島根県】での状況ですが、全国的に 状況は同じです。
当時は、どんな鉄道列車も先頭は蒸気機関車ですが、【軍用列車】が 坂を登るのを、人間が“後ろ”から押したりしていました。
 ( 信じられますか?)
【軍】の命令ですから、皆 列車を降りて全員で“後ろ”から押したのです。
 (民間の列車も 状況は同じです。)
つまり、“石炭の品質”が悪く、物量的にも不足しており、 ほんの少しの傾斜の坂を登れないのです。
 (途中から 列車が後ろへ“バック”してしまうのです。)
 ※これは、島根県での話ですが、島根県では、長野県のような急な勾配の“坂”は存在しません。

石炭が無ければ 国家経済がまわらなかった・・という事でしょう。かと言って、石炭の肩代わりになる程の“石油”は 日本には存在しません。
 ※因みに、当時 アメリカは“世界最大の石炭・石油産出国”でした。
  当時のアメリカでは、周囲 何kmにもわたって、地面から数十センチ掘れば 良質の【石炭・鉄】を採掘できたのでした。
  現在のオーストラリアでは 「大地そのものが鉄鉱石」という地方がありますよね。
  私の記憶では 1970年代まで アメリカは“世界最大の石油産出国”だったように思います

 ※私が高校生の頃、朝日新聞(裏面)で読んだ記事で、覚えている事を紹介します。
  時は、日本が そろそろ 太平洋戦争に突入しようか---という時代です。
  書かれていた内容は、当時 大使的な役割でアメリカに派遣されていた人の【回想録】です。
  この人は、アメリカで【石炭・鉄・石油】などが “露天掘り”されている状況を見て、日本本国の中枢部に進言したそうです。
   『こんな大国と戦争をしても、絶対に勝てる訳が無い。』・・・と 説明したのです。。
  ところが、それを聞いた本国側では、
  『この目で見た訳じゃないし、そんな、“夢物語”みたいな話を信用できるか!。 作り話も ほどほどにしろ。』
  それで 終わってしまったのです。何度 説得しても、誰に説明しても、同じだったそうです。


当時の日本での【炭坑労働者】の労働環境が どれほど苛酷で劣悪であったか、若い人はピンと来ないかも知れません。
戦前・戦後の産業の歴史を勉強すれば 簡単にわかるハズです。

戦後かなりの年数が経過した後も、三池炭坑などで実にたくさんの日本人が死んでいます(爆発事故・一酸化炭素中毒)。
特に 昭和三十年代に炭坑事故が多かったようですが、事故が起きて新聞に掲載されると
その度に 人々は「ああ、またか」とため息を漏らしたのです。

ましてや、太平洋戦争の最中は 日本人ですら“人権”など軽視・無視された時代です。
朝鮮人の【炭坑労働者】は 食べ物すらロクに与えられなかったハズです。

太平洋戦争時、一般国民みんなが食い物に困窮していたのです。
当時 日本の庶民は【スイトン】という汁を主食にしていた時期がありました。(オカズは“沢庵”だけ。)

  ※【スイトン】 : 
   サツマイモの茎(葉のツルの部分)を煮た汁に 小麦粉を練った2cm少々の団子を1つ2つ落としたもの。
   団子と言っても 丸くはなく、ペチャっと叩き潰した形状であり、小児が一口で食べてしまうような体積。
   小麦粉を使ったものは“上”で、小麦粉の代わりにサツマイモを使ったものが“中”。
   ここで言うサツマイモとは、【農林一号】という品種なら良い方で、
   明治政府が“牛のエサ”として普及させたイモを使う場合が多かったそうです。
    (品種名は【太白】だったかな?。 熊の足みたいに大きなイモだそうです。)
   ボソボソして なかなか喉を通らないそうです。
   それでも 満腹するほど食べられれば良かったのですが、イモ粥と言うよりも 汁の中に 少しだけイモが混じっている状態だったそうです。
   そして、小麦粉の代わりにフスマを使ったものが“下”。
   フスマとは「小麦粉のヌカ」を指し、米のヌカより不味く、本来は これも牛のエサです。
    (飢えていなければ 喉を通らないと思われる。)
   で、【サツマイモの茎を煮た汁】の 味はどうか・・と言えば、母の話によれば、「酸っぱくて苦くて渋くて エグい味」だそうです。
   味付けは塩だけです。当時 砂糖なんて滅多に手に入りません。一部の田舎では“自家製の味噌”も使われていたらしいです。
    (“人間の食い物”ではありません。)
   祝日など 時には 学校で“ぜんざい”が振舞われることもありましたが、
   “ぜんざい”とは名ばかりで、お椀の底が透けて見える状態で、あずき豆は数えるほどしか入っていなかったそうです。
   太平洋戦争時、日本人は こんな物を食べて生き延びたのです。
   田舎の農家では いくぶん条件が良かったようですが、都会はヒドイ状況だったと聞きます。

国民の食料事情としては、たった半丁の豆腐の“配給”に数百人が行列するような有様でした。


ここで考えて欲しいのですが、
占領/植民地化した相手の民族に、しかも“犬猫レベルに近い人種”として蔑視する相手に、 同じように食料を入手させるハズがありません。
上記の【スイトン】の説明を再読して欲しいのですが、
この【スイトン】よりもさらに条件の悪い食べ物・・と言えば 私は想像する事ができません。
“飢え死に”した朝鮮人もいたのではないでしょうか?

終戦の半年前、日本では どうやって“ゼロ戦(戦闘機)”の燃料を入手していたか、知っていますか?
一般国民に【松の根】を掘り起こさせ、その“根っ子”を加熱して蒸留し、燃料を入手していたのです。
 ※“松ヤニ”を加熱・蒸留するのです。
  物量的・質的に どの程度に有用であったかは知りませんが、建前では ゼロ戦の燃料としていた。
私の母も、その作業をやらされた一人でした。
なんと、ミジメな話ではありませんか。
飛行機を飛ばすほどの“高い精製度”を要求される燃料を、【松の根】から 一体どれほど入手できるのでしょうか?


終戦後 日本の兵隊はシベリアに抑留され強制労働させられ、酷寒の環境で多くの人が死にました。(シベリア鉄道の敷設)
強制連行された朝鮮人は 日本で働かされたので、シベリアの酷寒の環境とは違うでしょう。
しかし、日本の炭坑の石炭は 質が悪く、深〜い所まで掘る必要がありました。
当然 粉塵が肺にたまって肺炎になって死んだ朝鮮人もいれば、脱走を図って射殺された朝鮮人もいたハズでしょうし、
なんせ “人間らしい扱い”をされていないのですから・・・。
あるいは、爆発事故 や 一酸化ガス中毒で死んだ朝鮮人もいたハズです。


================================


以上のような 当時の状況を 日本側に都合よく考えても、1000人程度は 朝鮮人の【炭坑労働者 その他】が死亡しているハズなのです。
死んだ朝鮮人の人数が 50人や100人であるとは 考えにくいでしょう。
占領対象(植民地)である朝鮮半島では、当然ながら 日本軍によって強制的な“食料調達(徴収)”が行なわれたハズです。

強制的な“食料調達(徴収)”が無かったという事はあり得ません。 日本軍は 最初から、基本的に【食料は現地調達】でしたから。
この事は 私自身 複数の人から直接 話を聞いています。
また、私の高校時代の“生物科”の教師は 石川太郎という先生で、この先生自身 軍人として戦地に赴いており、
この先生の話によっても、日本軍の“食料調達”の状況は裏付けられます。
“調達”といえば聞こえが良いですが、要するに“没収”です。
そして、侵略した民族が没収するのですから、相手(朝鮮)から見れば これは【略奪】です。

 ※参考までに、米軍は 太平洋戦争時も 戦後のGHQ統制時代も【現地調達】ではありません。
  自己調達です。


細部にわたっての証拠が無くても、時代背景から考えれば 日本軍・日本人によって死亡した朝鮮人は かなりの数に上るハズです。
また、監視されているとはいえ、【通訳】として働かされ一般の朝鮮人よりも裕福な“衣食住”を与えられた 今回の“日本人拉致事件”
とは かなり条件が異なります。

時代が違うと言えば確かにそうですが、【強制連行〜極悪の環境で強制労働させた】ことの言い訳には出来ません。

日本国民が【スイトン】を食べるような生活を送った事の責任は 日本人自身にあります。
しかし、朝鮮人が【スイトン】を食べるような生活を送った事の責任は 朝鮮人には ありません。
日本が侵略して占領した結果として 朝鮮人までもが【スイトン】を食べる生活になってしまったのです。


先人(日本人:軍隊?外務省?)が 記録を抹消してしまい、その後 時代が変わり 風化してしまったようですが、
上記の例ほどに極端な状況は 多くは無かったにせよ、
内地において 在日朝鮮人に対する“差別”は日常的であり、珍しい事ではありませんでした。
また、日本が強制連行した朝鮮人の人数に関してですが、
日本の学者によれば 数千人から数十万人とされており正確な数値は不明となっています。
もし 仮に数千人とすれば、実質的に 在日朝鮮人の生活地は 東京・大阪・横浜などの大都市に限定されていたハズでしょう。
先述の 在日朝鮮人が切り殺された例は小田原での話です。

大阪の付近にも多数の朝鮮人が生活していました。
普通の“肉”を なかなか食べられない在日朝鮮人は、内臓を譲ってもらって食べていました。

 ※元々 日本民族は 内臓を食べません。
   古来 魚を主に食して「内臓は捨てる物」と認識し、肉食になじみが薄いからでしょう。
   大衆居酒屋で 【モツ煮込み】という料理がありますでしょ。 あれは、大阪の近辺に住んでいた朝鮮人が考え出した料理です。
   南米の黒人の世界にも 【モツ煮込み】に近い料理があります。
   料理としての風味は かなり違うらしいですが、基本的に 『差別されて 内臓しか入手できないから考案した料理』である点は共通です。
   今日でこそ 食文化として【内臓料理】はその地位を確立していますが、
   【モツ煮】の材料でもある“スジ肉”は もともと好き好んで食べる食材ではありません。
   料理を自分でしない人や “お手軽料理”しか作れない主婦には理解しにくいでしょう。
    (コックさんは承知しているハズ)
   簡単に説明しますと、“スジ肉”という食材は おいそれと食べられる食材ではないのです。
   上手に料理すれば非常に美味しく、長寿の元でもありますし、
   洋食屋さんの“ハヤシライス”が美味しい理由は “スジ肉+デミグラスソース”です。
   ところが、この“スジ肉”を調理するには べらぼうな時間がかかります。
   私は カレーを美味しく作る目的で、
   “スジ肉”を半加工の状態(あとはカレーに入れて煮るだけ)にしたものを大量に作って冷凍庫にストックしていますが、
   生のスジ肉を ここまで“下ごしらえ”するだけで、少なくとも4〜5時間は必要です。
   知らない人は “スジ肉”という名前から考えて、“スジっぽくて少し堅くて臭みのある内臓肉”と連想するでしょう。
   違うのです。
   内臓肉なら一応は“肉”です。
   ところが、この“スジ肉”なる物は およそ“肉”と呼べる代物ではないのです。
   (動物学的な用語に“アキレス腱”ってあるでしょ。 あれです。)
   肉屋さん・スーパーで 1キロ30円 程度で売っていますから、試しに買ってみて下さい。
  「こんな物、どうやって食うんだ?・・・」 と 途方に暮れるでしょう。
   内臓であれ 何であれ、“肉”と呼べる物であるなら、
   踏み潰すなり ミキサーにかければ それなりの“肉汁”が滲んできそうなものです。
   ところが、“スジ肉”は 仮にコンプレッサーで圧縮しても “肉汁”は出ません。水分は出ません。
   スーパーで買い物をした時を思い浮かべて下さい。
   無料で好きなだけ使えて“ロール状”に設置してあり、少しだけ透明がかった【白いポリエチレン袋】を御存知でしょう。
   あれを重ねて加熱して3〜5ミリの厚さに固めれば、ちょうど“生のスジ肉”に似ているでしょう。
   堅さは、うんと堅い【消しゴム】よりも さらに堅いです。
   およそ 肉とは呼べません。
   肉屋さんで“スジ肉”を買うと多少は赤っぽい色をしていますが、 飽食の時代のせいか、クズ肉がこびりついているのです。
   かつての米国産の牛肉は日本人には堅くて不評でしたが、あれだって包丁で切れば楽々と切れます。
  “スジ肉”は 包丁で切るにも 良く切れる包丁でないと切れません。
   とてもじゃないが、調理法を知らない人から見れば 人間の食べる食材ではありません。
   少々煮た程度では堅くて臭くて おそらく 牛も食べないでしょう。(牛だって噛み切れないもん。)
    (漫画の【美味しんぼ】に紹介されていますが、あれでは説明不足です。)
   調理法としての最初の段階は、大量の水を頻繁に交換しながら茹でこぼす作業を繰り返すのです。
    (茹でた湯が黒っぽく濁る。)
   でもって、これを茹でる時のニオイの臭さといったら 【ウンコの臭い】と “いい勝負”です。(笑)
   換気扇を廻していなければ このニオイが部屋じゅうに充満します。
   12〜3回 水を交換しながら茹でて行きますと、この臭さが減っていき、少しずつ透明がかった状態になり、
   少しずつ柔らかくなっていきます。
   3ミリしか無かった厚さが1センチ程度に肥っていき、【半透明な ゴムの塊り】の状態になれば“下ごしらえ”は完了です。
   そして、これを、カレーやハヤシライスの中に 肉として混ぜて弱火で40〜50分ほど煮て調理するのです。
 手間と時間を要するので、
 【本当に美味しいハヤシライス】を食べさせてくれる洋食屋さんは少ないのです。
 ハヤシライスは 所詮ハヤシライスで、高い料金はとれないですから・・。
   (だから、私は自分で作る。 個人的に趣味で作る分には“人件費”を考える必要は無い。)

こんな物を なんとかして食べる方法を工夫した人は 「エライ」の一言ですが、
占領/植民地時代、日本人は、朝鮮人に対して 「お前ら これでも食ってろ」と言って渡したのではないでしょうか。
これは私の想像ですが、“当たらずとも 遠からず”でしょう。
昔から こんな物を食べていたのではありませんし、
不味くてもなんでも、普通に食べられる食材が入手出来れば、こんな物を調理しようとはしないハズです。
 (牛も噛み切れない。)
 (“スイトン”の方が、食材として まだ 程度が良い。)


いずれにしても、『日本に連行された朝鮮人=数千人』という数字は あまりにも不自然で 少な過ぎる数字です。
そうやって死んだ朝鮮人の人数が20人〜30人という事はあり得ないと思います。


占領/植民地である朝鮮での“差別・搾取”が激しかったために 朝鮮経済が疲弊していた事は 日本の歴史学者も認めています。
 (朝鮮に存在する【朝鮮の会社】が儲けた利益のかなりの部分が 日本に吸収される仕組みになっていた。)
↑この種類の歴史判断について放映することに消極的な“NHKの教育TV”でも放映していました。
いったん朝鮮に帰国した在日朝鮮人が、この事が原因で再び日本に舞い戻ったのか、“朝鮮戦争の勃発”が主な原因で日本に舞い戻ったのか、
私は知りません。
 (おそらく 今日となっては解明不可能でしょう。両方かな?。)

アフガンのテロ絡みで アメリカが好戦的である事について、安っぽい博愛思想で批判する日本人が多いですが、
 (変な言い方ですけど、)
日本が “敗戦後の不景気・不況”を脱却できたのは、朝鮮が南北で戦争してくれた“おかげ”なんですよ。
これを 歴史的に 【朝鮮特需】と呼びます。
あの時 私は まだ生まれていませんでしたが、米軍の“武器需要”が生じたために 日本経済は息を吹き返したのです。
つまり 戦争景気に助けられたのです。
あれが無かったら、その後 日本はどうなっていたか?・・・。

『敗戦後の不景気・不況を どうして脱却できたのか?』・・・
『日本軍・日本人が 朝鮮人に対して どういう事をやったのか?』・・・知らない日本人が多過ぎます。

やっぱり “都合が悪い事”は 隠したいのでしょうね・・・。 だから、学校でも 教科書でも 教えない・・・。
 (この点は ドイツの場合とは決定的に異なる。)
この感覚のルーツは、【体面・面子(メンツ)】を最優先で重視する“昔ながらの日本人気質”に由来するでしょう。

ここまで話してきた内容も含めて、若い世代は 欺瞞とか そういう感覚を嫌うハズなんです。
  ※どの国でも、いつの時代も、
   【大人と若者の 意見の対立】の焦点は 常に ここにあります。
私なんか、いまだに嫌いです。 相手の役職とか地位によって 大幅に態度を変える人間とは付き合いません。
 (ムシズが走る)
でも、あまりにも無知・無教養であったり、「たまたま 知らないままに28歳になっちゃった」という人間
の場合は、どうにもなりません。
こういう若者の場合、
先述の 【都合が悪い事は 隠そう】とした世代の “時の流れによる風化を待つ”ネライに マンマと嵌った・・という事でしょう。


================================


そういう訳で、
2002年9月の【日朝条約】に関連して、日本の人々は 日本人拉致問題を あまり声高に北朝鮮を責めてはいけません。
というよりも、日本人は 北朝鮮を強く責める資格はありません。

拉致された日本人8人が死んだ事について、あまり一方的に北朝鮮を責めると、
将来、例えば 国際的な裁判で裁かれるような事態にでもなった時、日本は徹底的にやり込められる事になります。

以前(戦後) 昭和天皇が中国・韓国を訪問した時に、
「国家として、日本国は貴国に対して とりかえしの付かぬ事をして申し訳ありませんでした。」・・と きちんと謝罪しましたか?。

「遺憾に思う。」と表現しただけでしょ。 「遺憾に思う」という表現は“謝罪”ではありません。

『遺憾』という言葉を 広辞苑で調べて下さい。 (「申し訳ありませんでした」 という意味は 書かれていません。)
  ◇思い通りにいかず、 心残りなこと。
  ◇残念。 気の毒。
           と に書かれています。
この言葉は、被害者の友人・親戚などが 同情して慰める時に言う言葉であり、
加害者が 被害者に対して言うべき言葉ではありません。

あなたが サリン事件の被害を受けて 重体となったと 仮定しましょう。
加害者から、 『残念でしたね。』 とか 『気の毒でしたね。』 と 言われたら、どんな気がしますか?。
「他人事のように言いやがって」・・と、 慰められるどころか 神経を逆撫でされるでしょう。
加害者の奥さん・子供が、 そんな事は無かったかのように 平然とした態度で病室を出入りしているとしたら、どんな気がしますか?。
 ※満州侵略当時 日本軍は多数の中国人も殺していますが、
  日本人の多くは 過去の事など そ知らぬ顔で 韓国・中国を観光旅行しています。
   看護婦を数百人も殺した相手国オーストラリアを旅行しても、それらの石碑を慰霊する日本人は 滅多にいません。
   ハワイの真珠湾でも同様です。
    (この厚顔無恥ぶりは 同じ日本人として 恥ずかしい。)

百歩譲って、 天皇が 日本国民に対して発言する言葉として 妥協できるとしても、
中国・朝鮮の人々に対して言うべき言葉ではありません。

毎年 終戦記念日に 広島で行われる【戦没者慰霊祭】でも、
見ていると、 死んだ日本国民に対しては「過ちを二度と犯しません〜」と 語りかけて謝罪していますが、
中国・朝鮮の死んだ人々に対しては、明確に 謝罪の意思を示しているでしょうか?。
原爆慰霊碑で手を合わせて祈る日本人は多いですが、
インタビューなどで明らかなように、多くの場合 手を合わせる気持ちは【戦争の犠牲となった日本人】に向いています。

これでは、諸外国から 「時代の流れと共に“風化”するのを待っている」・・ と 評価されても仕方ないでしょう。
現に、 今日 日本人の意識の中では “風化”してしまっています。
単純に“敗戦国”として認識し、大規模な天災にでも遭遇したかのように感じている日本人が多いでしょ。
 (死んだ日本国民に対する意識は 別にして。)

国家的規模で 他国の国民に対して“罪を犯した”・・・という意識が 非常に希薄です。

だからこそ、東条英機を 何十年も靖国神社に【靖国神社】に祀って 涼しい顔なのではないでしょうか?
  ※この件で、日本人は 「うっかりしていた」等という言い分は通用しません。
   【靖国参拝】の問題では、毎年のように 中国・韓国からクレームを付けられていますから。

【靖国参拝】の問題では 私と同じように感じている人も多くいるでしょう。
話が少し逸れますが、宮内庁の障害問題などを理由に 行動しない政治家は 落選させれば良いのです。
ホームページを持っている人も、この事が もっと大きな社会問題になるように 何らかの活動をすれば良いのです。
  ※でも、日本人は 思っていても表立って行動しないのです。
   そういう機運が盛り上がって来ないのは 国民の間に その意識が薄いからでもあります。
   (そりゃ そうです。 国民全体として “罪を犯した”という意識が希薄ですから。)

【時代の流れと共に 風化させよう】 と 考えた人々に 国民が操られた・・・とも言えます。
  ※世渡り・処世術として、「事を荒立てない」のが 美徳として認識されています。
    『和を以って尊し』という言葉もあります。
   私に言わせれば、 現実には 日本人の『和を以って尊し』という言葉は 
   仲間内で手をつないで 輪を作って仲良くし、背中に向けては 砂を蹴り上げているようなものです。
  ※日本では、昔から 何事も、表立って行動する人は 極左翼・極右翼的な人々です。
   【靖国問題】のTV報道のインタビューで、
   『日本の憲法では それは無理であり、論じる事自体が良くない。』 と、堂々と述べる人すらいます。
   そんな馬鹿な話ありません。
   日本国憲法は 日本の憲法であり国際憲法ではありません。諸外国に対する言い訳には出来ません。
   中国・朝鮮の人達から見れば、憲法が障害となっているなら 憲法を変えれば良いだけの事です。
   これも、日本人に その意思が無いから その機運が盛り上がらないだけの事です。


「時代の流れと共に“風化”するのを待つ」・・という態度は、過去に 他の国でも見られます。
それを真似して 最後まで “シラ”を切り通すのも 国民・国家として ひとつの生き方ではあるでしょう。
どうせ、中国・朝鮮への侵略について、つい先年まで 日本は “シラ”を切ってたんですから (笑)。
 (だからと言って 正当化される訳でもありません。)

ただし その場合は、中国・朝鮮と喧嘩し続ける事になるでしょう。
『あの時 向こうが 〜〜 したのが悪い。』・・・と、お互いに 何百年も ズ〜っと言い合うパターンです。
北朝鮮としては、【日本人拉致問題】は 日本に対して“復讐”したようなものです。
 (中東の【イスラエルとシリア】みたいですネ〜。)
その場合は、こちらが “シラ”を切るなら 北朝鮮も“シラ”を切る権利がありますから、
少なくとも 【拉致問題】で 北朝鮮を責める権利はありません。
 (子供でもわかる理屈です。)
自分は“シラ”を切りながら 相手が“シラ”を切るのを責めるなんて、そんなのは “うすら馬鹿”のやる事です。

  ※数十年たつ内に 色々な事が露呈して、日本は“シラ”を切り通せなくなって 渋々と認めたんでしょ。
   だったら、 北朝鮮も 同じように“シラ”を切る権利があります。
   日本側は それを責める資格は無いでしょう。(喧嘩に喩えれば。)


今回 北朝鮮が、理由はどうであれ、せっかく態度を軟化して来たのですから、
日本側が あまりに強硬な態度をとれば 北朝鮮側が“ヘソを曲げる”ような事態になりかねません。



今回の【日朝条約】と【日本人拉致問題】の問題について、複数のTV局が どのような方針で放映するか、しばらく見守っていました。
あれから かなりの日数が経過しました。

結果として、放映の仕方はどうだったでしょうか? 世論 および 世論調査はどうだったでしょうか?
これほどまで 日本人の意識が “うすら馬鹿”的な感覚になっているとは 思いませんでした。
自分の側の“痛さ”ばかり 主張し、自分の側が その何倍も 相手を“痛い目”に会わせた事は 何とも思っていないようです。
これ、“うすら馬鹿”って言うんじゃないでしょうか?


NHKの最初のTV報道の時に感じたのですが、
被拉致家族の“北朝鮮に対する恨み発言”を  「これでもか これでもか」という感じで 繰り返して しつこく放映していました。
 (なんか、眼の仇にしている感じです。)
民放のTVでも 過去の問題には一切触れずに「8人も死んでいるンです」と強調していました。
番組の締めくくりとして多いパターンとして、ジャーナリストや学者が登場し、北朝鮮の“非”だけを強調して評論しています。
番組によって 程度の差 はありますが、ほとんどが このパターンでしょう。
過去の日本の“大きな非”と 北朝鮮の“非”を公平に論じる番組に まだ1度もお目にかかっていません。
TVで喋るジャーナリストは なぜ、一方的に北朝鮮の“非”をあげつらうのでしょうか?。

拉致された家族が感情的になったのは仕方がありませんが、
国会議員やジャーナリスト・学者までもが 調子に乗って『残酷なテロ国家』と批判する感覚は理解できません。
そして、日本が犯した罪については 大方の番組が触れようとはしていません。
この事に触れる番組でも、最後の方で 申し訳程度に 『過去の問題・・ムニュムニュ・・』で切り上げています。

【国際社会の中にある日本】という見地から考えて、こういう報道の仕方は ズルイというか、“不公平”だと思います。
私自身の感覚から表現すれば、“恥知らず”です。

過去の事を知らない中学生などが これらTV放送を見れば、一方的に北朝鮮を“悪者”として認識します。
『北朝鮮=ヒドイ国家・・北朝鮮人=残忍な国民。』 と受け止めるでしょう。


私 思うんですが、8人死亡で北朝鮮を責めるのであれば、 かつて その数十倍以上の朝鮮人を死亡せしめ、
数万人〜数十万人の朝鮮人を拉致した日本側は 一体 何なのでしょうか?
 (しかも、北朝鮮の感情を配慮する形での“謝罪”をしていない)

そういう事実を “アッチ”へ置いといて、『残酷なテロ国家』だの、一方的に批判するのは あまりにも無神経で“恥知らず”です。
8人を殺した北朝鮮が【テロ国家】であるなら、
かつての日本は【テロ・テロ・テロ・テロ〜〜〜日本】と、【テロ】という言葉を百回くらい付けられてしまいます。

 ※ジャーナリストにまで、これほど 日本人に“馬鹿”が多いとは思わなかった。
  【“モラル”を根本に据えて物事を考える事のできない人間】が どうしてこんなに多いんだろう・・。
  仮に、私がここに書いている内容を ジャーナリスト達が承知の上で、一方的に北朝鮮を“悪者”として批判しているとすれば、
  これも 罪深い行為です。
  現在 日本のマスコミが行っている行為は 【正当な報道】とは言えない部分があります。
  【日本人拉致問題】の報道特集番組という体裁で放映していますが、“尾ひれ”としての評論の付加が多過ぎます。
  報道番組の中で、北朝鮮の秘密めいた国家機構などを ひんぱんに評論し、
  北朝鮮に対する“違和感・嫌悪感”を 日本人民衆の心にイメージさせ、
  これと“セット”で 日本人拉致問題を論ずる事によって 拉致問題で一方的に北朝鮮を“悪者”に仕立てているように見えます。

日本が朝鮮・在日朝鮮人に対して働いた“悪事”に関しては なぜ 全く評論しないのでしょう。
かつて 日本も【テロ国家】だったんでしょ。
 (しかも、その度合いは 北朝鮮よりも もっと凄いものでした。)

少なくとも、北朝鮮は まだ 日本の領土を侵略してはいません。
かつて 日本が朝鮮を侵略・植民地化した事について 天皇も国民も折り目正しい謝罪をしていないのに、
一方的に 北朝鮮を【テロ国家】として“悪者”扱いする 日本人・マスコミは 一体 どういう神経をしているんでしょうか?
これも 一種の“洗脳”でしょ。
多くの日本人は 北朝鮮の人々を「洗脳されている」として評価しますが、かつて日本人は もっと洗脳されていたでしょ。


戦前の日本では 7〜8歳の頃から 徹底的に【修身】を叩き込まれました。

  ※【天皇陛下=神】とする経典を、学校で 毎日々々 暗記・斉唱させられたのです。
   11歳ころには丸々覚えているのが普通でした。
   『男と女は7歳になったら 隣り合わせで座ってはならない』 と指導されていました。(8歳だったか?)
   『男女は7歳〜〜』というのは 修身の教えではありませんが、どういう訳かゴッチャにして指導されていました。
   また、
   【修身】の教えでは 国民は天皇陛下の子供であるとして教えながら、
   一方では、事実上 国民は“天皇の所有物”のように認識されていました。
   所有物であるからには、「神たる天皇のために命を捧げて当然」として認識されました。
   さらに、「日本人は 神たる天皇の子供だから、他の民族よりも優秀である」・・という自尊心の根拠ともなりました。
   『天は人の下に人を作らず〜』という言葉で有名な福沢諭吉も、
   新聞の中で、『中国・朝鮮の人々は“劣る民族”であるから 私は付き合わない。』という意味の事を書いています。
   【脱亜論】と呼ばれています。 (中国・朝鮮ではなく 東南アジアだったかな?。)
    (いずれにしても、日本の人々は朝鮮人を【チャンコロ】と呼んで馬鹿にして差別していました。)
   また、『神風が吹くから日本は絶対に勝つ』と、日本人は大真面目に信じ込んでいました。

  ※満州に侵略を始めた頃の【修身】は、明治政府が浸透させた【修身】そのままではなかったのでは・・と想像できます。
   軍部の権力が強くなるに伴い、大正から昭和にかけて 1回は改訂されたでしょう。
   (これは 政府と軍部が共謀して日本国民に対して【洗脳】したとも言える。)

◆終戦直前(1944年)に 11歳だった子供は、現在 69歳です。 この事を意識してTV報道を見る必要があります。
 今日の【政治の世界】も、この世代と その先輩世代が“覇権”を握っているのです。
 世の中の 全ての不幸は、
 “立場的に優位な者”が “立場的に劣勢の者”に対して、不公平を“無理強い”する事から発生します。
 これは 紀元前の昔からそうです。
 あらゆる不幸な争い・戦争は ここから起きています。(家庭内紛争も。)
 その意味では、
 悪徳政治家が“汚い手口”で庶民に苦痛をもたらしている状況も、日本がかつて朝鮮を占領/植民地化したのも、
 本質的には 同じ行為です。
 それをきちんと謝罪しなかった日本・日本人に対して北朝鮮人が恨み、過激な人々が行動して【日本人拉致問題】となったと思います。
 北朝鮮の人々にすれば、【復讐】のつもりかも知れません。(日本人にも過激な人々がいます。)
 「元々は どちらが悪かったのか?」・・・これは明白ですが、
 そこの所を考えずに 【復讐合戦】を繰り返すと イスラエル・シリアと同じで 収拾不可能な状態になるでしょう。
  (それを認識しながらも「国力の差・・大丈夫」と考える人もいるでしょう。)

 考えてみれば、現在の70歳前後の世代の人達を 他の世代と比べて見ますと、公平か不公平か・・という事について 非常に鈍感です。
 『年寄りは 皆 そうだよ。』と言う人もいるかも知れません。
 でも それは日本人の通念です。
 アメリカ人やドイツ人の同世代の人々も 同様でしょうか? そんな事ありません。
 イギリス人などは “公平・不公平”について 非常にウルサイです。

 他の国の人達はそうでないのに、日本人については「年寄りは 皆 そうだよ」と感じる・・という事は、
 要するに、日本人のこの世代は 公平か不公平か・・という事について鈍感である---という事です。
 別な見方をすれば、
 この世代は、 “公平・不公平”等というものを軽視する【修身】の影響を受けている・・・とも想像できます。
  (そして、今も その影響の下にあるとも言える。)

 欧米では、子供に対する教育として、「正しいか正しくないか」を 子供に納得させるために、
 「それは不公平だから間違っている」という形で教えるのは ごく普通に行われています。
 日本では どうでしょうか?。
 最近はいくぶん状況が違っているようですが、以前の日本では このスタイルは本当に少なかったのです。
  ※私自身の体験でも、父から このような形で教え諭された経験は ただの一度もありません。
    (情けない話です。)
 重要な問題について 「正しいか正しくないか」を子供に教えるのは 主に父親の役割ですが、
 「あの人は良い人だね〜」と言われている人でも、
 利害関係が少しでも絡むと、自分より立場が弱い相手に対しては “公平・不公平”を無視する人が多いでしょ。

 こういう人達だから、敗戦後も きちんと反省せず、“臭いものに蓋”をして 口を閉ざしてしまったのでしょう。
 事実 ほとんどの学校教師は、敗戦後 口を閉ざしました。
 その結果、日本が朝鮮・中国に対して行った行為について、歴史的に“隠蔽”したのと同じ事になりました。
 朝鮮・中国への侵略行為について教科書で少し触れるようになったのは ごく最近の事です。
 後の世代の多くの日本人は 日本が犯した この犯罪について、 無知に近い(あるいは意識しない)人々が多くなったのです。
 私の世代も それを全く知らずに大人になりました。
 親から子へと 【感性】や【ものの考え方】が引き継がれる部分もありますから、
 “損得勘定”が優先で 公平・不公平を軽視する感性も ある程度は 引き継がれているでしょう。
 こういった事をひっくるめて、国民の感じ方が 最近のTV報道に反映している・・・と観察することもできます。


 一般大衆なら仕方ないかも知れませんが、
 評論家や 報道特別番組のチーフ等が こんな事すら解らずに 北朝鮮を一方的に悪者として責めるのは、“うすら馬鹿”です。
 教育者とか牧師・坊さんも同様です。

 私は 彼らに対して質問してみたい。「あなたは なぜ 今の職業を選びましたか?」・・・と。
  (答えに窮するのではなかろうか・・。)


さて、
【修身】が 多分に“儒教的な色合い”を強く残している事の理由として、
それまでの日本での“社会的秩序・社会構造”にとって 都合が良かったからでしょう。
儒教そのものは すでに江戸時代に中国から入ってきていましたが、都合の悪い部分もあった訳です。
だから、儒教としてではなく 改造して【修身】と命名したのです。
もう一つ、
明治政府としては、なんとしてでも 国家宗教的なものを新規に構築する必要に迫られていました。(時代の要請・・・洗脳。)

江戸時代、 藩主は将軍に忠誠を誓い、藩士・藩民(国民)は 藩主に対して忠誠を誓っていました。
そして、これは 戦国時代から引き継がれてきたものであり、【忠孝の道】として国民に浸透していました。
江戸幕府は滅亡し 将軍の存在は無視できるようになりましたが、
国民(特に下級武士の子弟や士族)の心の中には、【藩主に対する忠誠心】が 道徳として 宗教がかった状態で残っていました。
 (藩主という存在は消滅させたハズ・・・。←“ハズ”)
これは 藩主一人々々に対する忠誠心ですから、国家として求心力がありません。

金と力の無い明治政府にとって、国を統率するには これでは具合が悪かったのです。
何らかの形で “国民的な教え”を創作し、一極集中の形で 天皇に忠誠を誓わせるパターンに変える必要がありました。
となると、
“国民的な教え”を作るだけでは不充分であり、何らかの細工を施して 権威付ける必要があります。
国民に短期間に信じさせるには、単純な形である事も大切であり、なおかつ “宗教がかった雰囲気”も必要です。

ここで 【神教】が登場する訳です。
神社という形で親しまれている【神教】は、元々は 中国から伝来した一種の“自然崇拝宗教”であり、
日本の天皇家とは 全く無縁のものです。

  ※日本国民の心の中では、事実上 【神教】と【天照大神】と【天皇】が 渾然一体となっています。(笑)
   神社(じんじゃ)という建物(用語)は、
   歴史的に言えば、神社と呼ぶよりも 社(やしろ)と呼ぶのが正しいでしょう。
    (中国では「しゃ」と発音。)
   古来 中国では、自然神としての霊気を祀る目的で 【杜(もり)に囲まれた社(やしろ)】が存在していました。
   これは 村ごとに存在していました。
     (古代中国では 村を“村”とは書かず、“邑”と書き、その概念にも違いがありました。
      ・真梨邑ケイという歌手がいます・・あの字です。
      ・古代中国における“郡県制度”では“郡”の方が格上ですが、日本では“郡”は格下になりました。)
   杜(もり)の中に 社(しゃ)と呼ばれる地主神を祀っていました。
   【社】を祀った建物の上部には 霊気を外に抜けさせるための 穴 が設置されていました。
   “霊気”と言っても、日本で一般的に認識されている“霊気”とか“霊魂”とは異質のものです。
   これを上手に解説する力は私にはありません。
   インディアンの“自然崇拝”ってあるでしょ。乱暴ですけど、あれに近いものと考えて下さい。
    (同じような原始宗教は世界中にころがっている。)
   ただし、中国の場合、“国家ごとに存在する霊気”であり、守護神という意味合いではありませんでした。
   戦争で相手国を滅ぼして その地を自国の領土とする場合、それまでの国家の霊気を何とかする必要があります。
   滅ぼした国家の霊気を鎮め、大地から外界へ抜けさせる意味での建物でした。
   中国の古代国家は、黄河中流流域の“狭い地域(中国大陸の一部)”に存在し、
   常に 黄河流域の黄土層(世界で最も肥沃な土)から得られる農産物によって成立していました。(海は無し。)
   即ち、感覚的に “大地”こそが 全ての源だったのです。
   だからこそ、滅ぼした相手国家の霊気を鎮め 大地から外界へ抜けさせる事が、重要な意味を持つ訳です。
   これは、“創造神”を信仰するスタイルの一般的な宗教とは 全く異質のものです。
   “創造神”に対する信仰であるならば、それを外界へ追いやる等という行為は “創造神に対する冒涜”になります。
    (日本では 守護神・創造神的な存在となっている。日本では どんな宗教も“守護神+御利益”が無いと存続しない。)
   また、神様を祀る目的ならば 杜(もり)の存在は 必須条件ではありません。
    (キリスト教会の礼拝堂・修道院・寺 などと比べて下さい。)
   自然神としての霊を祀るための物ですから 杜(もり)が必要となるのです。
   後の中国で、【杜(もり)に囲まれた社】が 国家の管理機構の一部として “里(25戸)”ごとに設置されるようになり、
     (後代の日本では【一里】=3.7km ですが、古代中国では【一里】= 25戸 でした。)
   ここに“戸籍簿”が保管されるようになりました。(日本の古墳時代よりも はるか昔の紀元前。)
   これが 後に 日本に伝来したのです。
   日本に伝来後、形が変わるか、“農民の五穀豊穣を願う心” あるいは “自然崇拝的な土着宗教”と 結び付き、
   これは 【神社・お祭り・おみこし】として 農村いたる所で見かける事ができます。
   古来 中国では“思想”なるものが発達し、国家の浮沈すら揺るがす時代(春秋時代)もあったくらいですから
   霊を祀るための【社】という形で 宗教が存続したのでしょう。
   後進国日本では そのままの“生”の形では難解すぎて無理だったのかも知れません。
   今日 日本の神社で おみくじみたいな【お札(ふだ)】を買い、
   開運らしきことが書かれていると 安心したり喜んだりする人が大勢います。
   【お札(ふだ)】を売る神社というものは 単なる“商売”であって、およそ 宗教とは縁遠いものです。


天皇(その先祖)を神格化するために 神教・天照大神の神話を結び付ける論理は有名ですが、
神教・神社なるものの由来を考えれば、【天皇の祖先・・天照大神】の神話は あまりにも馬鹿々々しい・・。

  ※石ころを投げて国を作るような巨大な超能力者の子孫が 天皇であるなら、日本の国土を何とかして欲しいものです。
    (日本書紀の存在をして根拠とする説は無力です。
     オトギ話的な1冊の経典を掲げて「これが証拠だ」と主張できるなら、どんな邪悪な宗教も正当化されてしまいます。)
   また、【神教・・天皇の祖先】については、
   先述の中国での神社の説明により 大きな矛盾が存在しますし、古い(一般の)文献に それを覆すだけの記述がありますか?。
   神教が 【神教・・天皇の祖先】とする宗教として 元々 存在していたのならば、
   神教と天皇祖先が結び付いた形で、それらしい物が 日本の遺跡から発掘されて当然です。
   現実はどうでしょう(笑)。 銅鐸も大量に発掘されるし、木製の道具も発掘されていますが、
   考古学的には、天皇の祖先は “神なる存在”としてではなく、単純に“力を持った権力者”として認識されるばかりです。
   どうしても【神教】と【天皇の祖先】を結び付けたい人には、次のように笑ってあげます。
   「おう、“御神輿ワッショイ”の神様かい。」・・・と。
   天皇の存在を否定するつもりはありません。しかし、天皇の祖先を“神様”として定義付ける事には納得できません。
   ヨーロッパの国王は もっと単純に“権力者”およびその子孫として存在しているでしょ。

国会議員の中にも 神教の信者が存在し、彼らは【靖国神社問題】の解決案件に反対している・・・
   (本人が神教を信じるのは勝手だが、選挙でこんな奴に投票するなヨ〜。)

こんな幼稚な宗教・信仰を 【国民の代表としての仕事】で 国家の政治問題に公私混同する人間を “国会議員として当選させる日本人”
の馬鹿さ加減が、 ここにあります。

  ※これは、一個人としての【信仰の自由】とは全く別の話です。


さて 話を元に戻し、
その後の日本において、 神教 と 天皇の祖先 と 天照大神の神話 と 儒教 が融合して出来たのが【修身】です。

この【修身】の精神の中には 良い部分もありました。“礼儀作法・道徳の重視”という側面です。
 (その教育的な教えの骨子は【儒教】に由来します。)
ただし、 宗教としても 教育としても、重大な欠陥を持っていました。
それは、【相手が弱者である事に付け込んで 軽んじたり攻撃したりする事】の罪を問うような精神が欠落していたのです。
 (良い意味での博愛思想的な感覚が無い。)
その証拠に、
いったん結婚すれば 女房は 亭主の“持ち物”みたいなもので、殴られようが蹴られようが 文句は言えませんでした。
それが不当な暴力・過剰な暴力であっても 亭主が法律的に裁かれる事はなかったのです。
この感覚は社会の隅々に浸透していました。
 (先生と生徒、上司と部下の関係においても同様。)
ビッコを引いて歩く子供は、それだけを理由に、他の子供達から 石を投げ付けられるのは珍しい事ではありませんでした。
生徒に【修身】を指導する役割を担っている学校の先生も、それを止めようとはしないのが普通であり、
それを阻止した先生の話は 戦後になってから【美談】として語られました。

こういう事は社会問題として認識されず、日本という国は およそ民主主義などとは無縁の国家でした。
“道徳”を重視したのは 表面だけであり、本質的には “道徳”という理念から 遠く かけ離れていました。

  ※マスコミの人々も含め、日本人は偉そうに 北朝鮮国民を馬鹿にしますが、
   当時の日本のヒドサは 北朝鮮の比ではありませんでした。
   まがりなりにも 当時すでに儒教が浸透していた朝鮮の方が程度は良かったと想像できます。

当時の日本では、家庭経済に少しでも余裕のある人間は、それだけを理由に 貧乏人を徹底的に馬鹿にするのは普通でした。

  ※地主は 小作人に対して【馬並みの扱い】をする事さえあった。
	(小作人の家は【掘建て小屋】レベル。)
   とことん搾り取って、搾り取った(搾取)挙句、小作人の家族が“飢え死に”しても社会的に問題視されなかった。
   私の祖父は【最後の地主】だったが、その関係で、私の父は幼少の頃から 島根県の人々に“頭を下げてお辞儀”されて育った。
   私の父が人格的に【欠陥人間】であることは この事が大きく影響している。
   考えてみれば、当時の【地主】などという仕事は、通常の道徳観念を持つ人間にはできない。
   ヒトを苛めたり虐待したりする事に【良心の呵責】を感じないくらいでないと、当時は 【地主】は務まらなかっただろう。

弱者は虐げられても文句は言えず、貧乏人は馬鹿にされて差別されたのでした。
百姓・町人の子供は よっぽどの事が無いかぎり 百姓・町人を受け継ぐ事を強要されました。
確かに、【修身】によって 形の上での“礼儀作法・道徳”は徹底されたでしょうが、
それは 身分の上下関係・親子関係などにおいての【下の者が上の者に対して尊守すべき教え】でしかなかったのです。
 (権力者にとっては それで 充分に都合が良かった。)
本当の意味での“モラル・道徳”という観点から見れば、【修身】は “出来そこないの思想教育”です。
  ※若年世代の礼儀知らずの行動について、
   年配の人々の中には 「修身を復活させるべきだ。」という意見もありますが、
   それは 安易な発想であり、修身を復活させたら 表面的には部分的に改善されたとしても、とんでもない事になります。
   【修身の欠陥】を見落としていますし、意識の中にも無いのでしょう。

要するに、国民の文化レベルという点では つい最近まで 日本は“ひどい後進国”だったのです。
戦後 飛躍的な経済発展を遂げたことで、それらを忘れてしまって「先進国である」かのように思い違いしているのです。

さて、
もともと 神社というものは 天皇家の祖先を祀ったものではありませんが、
後に 権力を握った軍部が介入して 【天皇〜天照大神〜神教】を最大限に利用しました。


洗脳という観点から見れば、 明治政府が国民に強制した【修身】の影響は まだ 日本人の精神に残っているように感じます。
もし、北朝鮮が 経済的・軍事的にもっと強い国家だったら どうでしょうか?。
アメリカと同盟関係でなかったら どうでしょうか?。

若い世代なら “朝鮮半島侵略”にまつわる事情を知らない人達がいても仕方が無いでしょうが、
年配の人達は ある程度は知っているハズです。
それでも、
相手国--北朝鮮が 経済に行き詰まっていれば “マナー・モラル”を軽んじた態度に出る事について、
「日本の権力者の“都合”で作った【修身】の悪影響が残っているのでは?・・」 と想像するのは 私だけでしょうか?。
これも“洗脳”の一種と言えるのではないでしょうか。
洗脳されている事を根拠に 北朝鮮の国民を なんとなく“文化的に遅れた国民”として見るのは良くありません。
少なくとも、洗脳されても、北朝鮮の人々は 金さんを“神様”的に崇めている訳ではないでしょ。
(かつて 洗脳された日本人は天皇を“神様”的に崇めてたでしょ。)

余談ですが、先に 古代の日本について 後進国日本という言葉を使いましたが、
国粋主義的な人々から 猛烈に反論・批判されるかも知れません。予防線を張っておきましょう。

『日本の道路は 戦国時代から徳川家康の時代にかけて狭くなった(2〜3m)のであり、古代の日本の道路は はるかに広かったハズ。』
・・・と 主張し、後のいくつかの道路工事で 偶然それが証明され、脚光を浴びた学者がいます。
 (数年前のことです。)
  ※この先生の話では、有馬温泉の“有馬”という地名は 古代にあっては“有場”という地名でしたが、
   古代 橿原宮から有場までの道路は8mほどの道幅だったそうです。
   山があれば、その山を迂回するのではなく 真っ直ぐに山を乗り越える形で道路が通っていたそうです。
   また、それが 古代の強大な権力者としての象徴でもあったそうです。

この学者の別の論文や 他の諸々の状況を考え合わせれば、古代日本は後進国ということになります。
この学者の名前は忘れましたが、要約すると 大体 次のような内容です。
  古墳時代の【埴輪】は、当時の日本という国家が後進国であった事の現れです。
  当時、日本では“鉄”を自国生産できず、鉄が欲しくてしようがなかった。
  鉄が欲しいので 中国などから輸入したいのだが、有利に取引きする目的で “馬鹿”にされない意味で、
  “こけおどし”的に 古墳の周囲に大量の【埴輪】を並べたと思われる。
  その根拠は、当時の多くの古墳が 【海から見える場所】や 都までの道程で【川の近く】に作られている事である。
  墓に“湿気”は禁物であり、洪水の心配もあるし、これは不自然である。
  想像するに、鉄を生産できなかった日本としては、
  中国・朝鮮からの使者を招いた時に、 都までの船旅にて 海および川から この壮大な古墳を 使者の目に印象付け、
  「日本と言う国はなかなか大した国である」という風に 驚かせる目的で、
  このような場所に大きな墓を作ったのだろう・・・・と思われる。
  その裏付けとして、鉄を自国で生産できるようになって以後は、このような形での墓の造営がパッタリと止まっている。



小泉首相が朝鮮へ出かける時点で、私は 『拉致された日本人の半分は殺されているのでは・・』 と予期していました。

拉致された家族・本人は 確かに可哀想ですが、こういう事態を引き起こした原因は 日本人自身にあります。
そして、その責任も、
単純な言い方をすれば、半分は日本人自身にあると自覚すべきです。
【拉致〜死亡】に関する“怒り”の矛先は、半分は 過去の日本人に向けるべきです。


確かに 現在の北朝鮮は、国家として信用できない状態である事は事実です。
民主主義・人道の見地から鑑みて“とんでもない国家”である事は 間違いありません。謝罪してもらうべきです。
じゃ かつて日本はどうだったんでしょうか? 現在の北朝鮮の何十倍もヒドイ国家でした。
しかも、その被害・危害を最も大きく受けたのは 朝鮮民族です。
日本は謝罪しないままで構わないのでしょうか? 日本が先に謝罪すべきなんではないの?・・。

TVで 色々と解説しているジャーナリストの方々、答えて欲しいものです。



もう一つ気になる事があります。 それは、朝鮮が【儒教】の国である・・という事です。
儒教では、【礼節と道徳】を重んじます。
 (日本人の眼から見れば「馬鹿々々しい」と感じる程に。)

朝鮮での儒教を“優秀な宗教”として認識するつもりはありません。 本来の儒教の姿から外れている部分もあるでしょう。
 ※私も 朝鮮儒教について良くは知りません。
  ある学者が書いた記事を読んだ事がありますが、朝鮮の儒教も多少は 改変が加えられた部分もあるようです。
  特に、現在の北朝鮮では改変された部分は多いでしょう。
  ただし、その点は かつての日本も同様であり、日本の明治政府が行った改変も“ヒドイ改造”です。

朝鮮人の肩を持つつもりはありません。
民族的特性の面で、多少 ヒガミっぽいような印象も受けるのですが、どうでしょうか?。
昔から 中国大陸の隅っこで圧迫を受け続けていた訳ですし、「中国大陸の隅っこ」の国である事が 朝鮮という国号にも反映されています。

 ※古来、中国周辺の国家は その国号が“漢字2文字”です。
   (【例】: 百済、新羅 etc...)
  漢民族の正統国家は (例外的な歴史状況の場合を除いて) その国号が“漢字1文字”です。
   (【例】: 殷、周、秦・・・宋・・明、清 etc...)
  中国(漢民族)の側から “蛮族”とみなす意味で 2文字で呼ぶ場合もあれば、
  周辺国家自身が漢民族への気がねから2文字で命名する場合もあったらしいです。

これらの事を 朝鮮民族の特性と絡めて 厳密に論議したい訳ではありません。
日本だって、朝鮮半島のそのまた海の外れに存在し、【島国根性】という嫌な部分もあります。
朝鮮人にも、悪党もいれば 人を騙したりずるく立ち回って生きている人間もいるでしょう。
こういった点は 「お互い様」でしょう。

日本人と朝鮮人を集団的にとらえて 人格的な比較をしようとしているのでもありません。
そういう事ではなくて、
日本人よりも 朝鮮人は、意識の面で、【礼節と道徳にこだわる民族】である・・・という事です。
ですから、
仮に 立場が逆で 日本人が朝鮮に住んでいた場合の日本人が恨む その程度と比較すれば、
【礼節と道徳】にこだわる民族が恨む場合の方が その程度が強いだろう・・・という事です。
もっと単純な例に置き換えて考えれば、
大阪の人間は、相手に向かって 簡単に「このアホンダラ!」と 平気で言います(時には頭を叩く)。
しかし、言われた側(大阪人)も 東京の人間ほど深刻には受け止めません。
 (ケロっとしています。)

「受け止め方が違う」という事を言いたいのです。

歴史的な影響を含めて考えれば、中国・朝鮮人は 精神構造が 日本人とは違うのです。
だからこそ、中国・朝鮮の人々は 日本人の態度に対して 余計に腹を立てるのです。
 ※諸外国から見れば、日本人は【忘れる民族】です。
  日本には、『喉元過ぎれば暑さ忘れる』という諺もあります(口語体表現)。
  この特性は、日本人のルーツが【楚】である可能性が高い事も影響しているでしょう。



ここで私が述べてきた内容は 小泉首相も認識しているハズです。
そもそも、日本人拉致問題に関して 日本政府が消極的で弱腰だった理由は、
ここまで私が説明した問題について 多かれ少なかれ 日本の“非”を認識していたからです。
だからこそ、今回の日朝条約で 「まず国交回復を。」と考えたのでしょうが、日本国民が あまりにも馬鹿過ぎました。
  ※訪朝の後、帰国した時のインタビューでは 日本国民の意識に合わせた回答の仕方をしていました。
   理想を言えば、どこかのタイミングで【日本国民に対して反省と自重を求める】ように発言すべきでしたが、
   ここに至って 小泉首相だけに対して 急にそれを求めるのは“酷”というものです。
   政治家は しょせん政治家です。(思想家・宗教家とは違う。)
   朝鮮に出向く時のTVインタビューと、帰国直後のインタビューと、しばらく経ってからのインタビューで、
   その度に ニュアンスが かなり違っています。
   これほどまでに日本国民が一色となって 北朝鮮を一方的に悪者として非難するとは 予想しなかったのではないでしょうか?
野党の政治家も 本当は(心の中で)認識しているハズです。
ただし、【勝てば官軍】の意識が強い日本人としては 政党勢力・政権奪取を第一に考えますから、
大多数の日本国民の意識に便乗する対応をしている・・と思われます。

そういう意味では 「政治家は国民が育てている」 とも言えます。

こうなると、チャーチル首相の言葉の真実性がクローズアップされます。
つまり、馬鹿な政治家・悪徳な政治家がのさばるのは、国民の質・レベルを反映しているのです。


今回の件で、
政治家やジャーナリストが 日本経済の“利害得失”を優先して打算的になるのは ある意味では仕方ないかも知れませんが、
だったら、ジャーナリストの職業をやめて欲しいものです。(だらしない・・。)
どんな国でもいつの時代でも、国家経済が困窮してしまうと ジャーナリストは職業として存続が厳しくなります。
その辺りを国民が見抜くべきです。

私が このHPで書いている程度の情報を、彼ら ジャーナリスト・政治家が 知らないハズがありません。
それよりも、
ジャーナリスト・政治家が“誘導”する世論に 国民が ウマウマと乗せられてしまう国民性に問題があります。

また、長引く不景気を考えれば、
国家経済としての“利害得失”を考え 国際世論を日本に有利に導くために “北朝鮮の失点”を強調したい気持ちも理解できなくはありません。
しかし、 判っている外国人は承知しているいるハズです。
では、なぜ 諸外国は“日本の態度”を批判せず静観しているのでしょうか?
言うまでも無く、政情不安という意味でも 『とりあえず北朝鮮が民主化された方が助かる』からでしょう。


その辺の国際情勢や 相手の国家経済の弱さに付け込んで “言いたい放題”の態度は良くありません。
近い将来 “仕返し”されます。

人間同士の喧嘩になぞらえてみれば 答えは一目瞭然です。
怪我をさせた方は忘れても 怪我させられた方は簡単には忘れません。
怪我をさせた方がきちんと謝罪せずに忘れてしまえば忘れてしまう程、相手の恨みは深くなります。
両方に“非”があった場合、
非の大きい方の人間が 正式に謝罪もしないで 非の小さい方の人間の“アラ”ばかり責めれば、どうなるでしょうか? 必ず 大喧嘩になります。
“国家 対 国家”も同じです。 この場合は【戦争】になります。


================================


現在の中国は かつての日本のような“高度経済成長”を続けています。 自動車の生産も 【自国開発のロボット】の導入が始まりました。
日本の国家経済の状況は、今後 回復することがあっても せいぜい“3〜4割増し”でしょう。
そして、その後は また 下り坂に入るハズです。
なぜなら、近年の日本での 【“若年世代”の能力低下】 が激しいからです。
  ※先日 ニュースで報道されていました。
    世界水準に照らし合わせて、日本の若年世代のうち 小学生が優秀だった(!)のですが、
    現在の小学生のうち4割は、その学力が 20年前なら “落ちこぼれ”だそうです。
    小・中学生が土曜日・日曜日に勉強する時間については、アメリカの1/3、中国の1/5 だったかな・・・。

中国経済が注目されているのは人口が多いからばかりではありません。現在の日本人よりも勤勉だからです。
単純に人口比率だけで考えても、エリートが輩出される度合いも 【日本の13倍】です。
日本で新卒として登場するエリートの“13倍の人数”が 毎年 エリートとして登場しているのです。
仮に 日本で毎年1万人のエリートが輩出されるとしましょう。
単純に計算しても、中国では 毎年13万人のエリートが輩出される勘定になります。
10年たてば 日本の10万人に対して 中国では 130万人となり、エリートの人数差は なんと120万人です。
さらに、中国の学生は日本人の何倍も勉強します。

Microsoft社も、中国人の頭脳に注目し、ある重要な“戦略的開発部門”を中国に移管しました。
 (日本ではありません!。)


さて、このような状況を踏まえて 20年後〜30年後を考えて下さい。日本は 絶対に 中国に“太刀打ち”出来ません。
10年後の中国経済が躍進しているであろう事は確実であり、20年後は大躍進を遂げていることでしょう。
民生の技術レベルも飛躍的にアップし、
今まで活用できなかった地下資源も開発されて国力アップを後押しするでしょう。

また、現在ですら 米国が 日本よりも中国を優先する兆候がチラホラと見えていますでしょ。

もともと、米国は 日本・日本人が好きだから日本と【同盟国】になった訳ではありません。
第1の要因は 共産圏との冷戦構造であり、
その後 第2の要因として、環太平洋経済圏の将来性に着眼(1970年頃)したからでしょ。

最大の脅威であったソ連は変貌してロシアとなりました。
シベリア大油田の石油の国際供給に 米国の政府・企業が支援する形でプロジェクトがスタートしました。
そして 20年後の中国経済が 質・量ともに大躍進した状況を想像して下さい。
日本は“御用済み”として 粗末な扱いをされる可能性もあります。

中国・韓国・北朝鮮 は、将来 日本に対して 連合して冷酷な態度をとるでしょう。
アメリカもロシアも、日本よりも中国の方が“重要な提携先”となっている可能性が高いでしょう。
現在の中国・韓国は、「もう少し待てば日本の国家経済力に追い付く」・・と考え、辛抱しているのかも知れません。
 (気味が悪いほどに静かです。)
「今は 日本と摩擦を起こさない方が得策」と考え、静観しているのかも知れません。


以上のような事を総合的・国際的に考えて、
今回の件で 感情的にこじれてしまうと、将来、子孫に対して 国家的な【負の遺産】を残すことになります。

本来であれば、日本は、高度成長を達成して潤っている時点で 
少々無理をしてでも 【中国・韓国・北朝鮮】に もっと国家予算を割くべきだったと思います。
ところが、政治家と役人が 勝手な使い方をしてしまいました。
 (それを許してしまったのは日本人自身です。)
国家予算という意味では もう間に合いません。
“月賦払い”の形で経済援助するしか方法がありませんが、「そもそも、なぜ こんな事になったか」・・という事も考えるべきです。
日本が 中国・朝鮮を侵略していなければ、こんな事で悩むことは無かったのです。
せめて、今回のような状況でこそ “襟を正して”立派に行動すべきではないでしょうか?


日本人拉致問題について、北朝鮮に “反省・謝罪”を求める事自体は良いでしょう。
でも、同時に (あるいは その前に) 日本が先に深く謝罪すべきであり、それが順序というものです。
これをしない限り、北朝鮮は素直な気持ちにはなれないでしょう。
日本側から見て“素直になった”ように見えても、心の底では「こん畜生、日本人め」と感じているハズです。
中国・朝鮮の人々は 日本のマスコミ報道と日本人の意識を じ〜っと観察しています。


================================


私が 【日本による朝鮮占領〜植民地化、中国侵略】の歴史を 真剣に考えるようになったきっかけをお話しましょう。
私は 職人さんとすぐに打ち解けてしまうのですが、
25歳ころ、ある知人の仲介で大衆的な寿司屋さんに ときどき顔を出すようになりました。
その何回目かに、つい気を許して 政治的な問題を少し話題に出してしまいました。
 (中国・朝鮮問題にも関連する話題でしたが、当時 私は認識不足でした。)
その時、たまたま 他の客がいなかったせいでしょうが、その店のマスターが顔色を変え、私に抗議しました。
  ※マスターの奥さんが制止しましたが、彼は止めませんでした。
   この時にわかったのですが、彼は在日韓国人でした。
そして、話の最後に一言いいました。
 『あの オッサンが 自分の立場を自覚して命がけで阻止すれば止められたハズだ。』・・・と。
  (いくら在日外国人とはいえ、天皇をオッサンと呼んだのには驚きました。)
当時の軍部の強大さを考慮すれば、本当に阻止できたかどうかに関しては異論もあるでしょう。
この場合、重要なのは その事ではないのです。
後でマスターの言葉をじっくりと咀嚼してみますと、マスターが腹を立てている本心は 天皇陛下に対してではないのです。
“きちんと謝罪もしていない日本人がケロっと忘れてしまっている”事。
そして、現在では日本側も認めている諸事に関して 長い間 日本側が「知らない」を押し通していた状況。
そして、それらについて、多くの日本人が無関心でいる状況。
かつ、天皇が地方を訪問する度に 多くの日本人がやみくもに喜び、
年配者の多くが 神様でも拝むかのように「ありがたや、ありがたや」といった態度である事。
そういった事に対する“腹立ち”と“日本人の無神経さ”に対する苛立ちが 織り交ざって、
自分の気持ちを整理し切れずに 『オッサン〜〜』という言葉になった・・・・と、後で理解できたのでした。
『あの オッサン』ですよ!。
日本人で 天皇陛下を指して『あの オッサン〜〜』と呼ぶ人は まずいないでしょう。
そのくらい、朝鮮の人々は腹を立てているのです。
 (中国の人々もこれに近いでしょう。)
このマスターとの会話との後で、この事に私は初めて気が付き、『無神経なことを言ってしまった』と悔やまれました。

 ※日本が長年にわたって朝鮮を占領/植民地化していた事と それに付随する諸事に関しては、日本が悪いのですから、
  日本人は、韓国・朝鮮人に対して、その辺りの心情を配慮する必要があります。
  例えば、身近にTVで報道されている事件に置き換えて考えてみて下さい。
  【相手の人権を軽んじ、相手の子供を失明させた当人】が、裁判を受けて慰謝料を払ったとしましょう。
  慰謝料を払った方が金持ちで、『金を払うんだから文句はあるまい』・・と 偉そうにしたらどうでしょうか?。
  重大な怪我を負った方としては やり切れないでしょう。
  同じ事でしょ。 (日本側はまだ「払い切った」とは言えない状態なのではないでしょうか。)
  こういう事は 日本人同士なら理解できるのに、朝鮮人が相手の場合は感覚が変わってしまうのでしょうか?。
  私の父なども、心の底では中国・朝鮮人を馬鹿にしているのが見てとれます。
  何事も「金品さえ払えばそれで良し」という風潮が日本人に強かったせいもあったのではないでしょうか?。
   (日本のODAのパターンもその例でしょう。)

私は港南台に住んでおり、この店はすぐ隣の洋光台駅の近くにあり、たまにこの店の近くを通ります。
あの時 口論や喧嘩をした訳ではないのですが、 なんとなく この時の事で気が咎めれて、以来 店に顔を出していません。


北朝鮮に対する 現在のマスコミに代表されるような態度を 諸外国から見て、
(本音で!) その観察を語ってもらったら、どのような感想になるでしょうか?
日本人は、『正しいか正しくないかよりも 利害得失・力関係だけを優先し、モラルの低い国民』・・という印象でしょう。
 ※もちろん、米国も大国としての驕りがあって そういう部分があります。
  米国も その報いを受ける時が来るだろう・・と思いますが、国力から考えて “その時”は 日本に先に訪れるでしょう。
  米国にも“非”があるからと言って、中国・朝鮮は 日本の罪を忘れてはくれません。

日本が “現在の経済力の優位性”と“米国の後ろ盾”によって上手に立ち回れば 立ち回るほど、日本に対する反感は強くなります。
(くどいようですが)
日本側が北朝鮮の“非”を強調し、うまく駆け引きをするのは「楽な道」であり、短気的には国益にプラスになるでしょう。
現在の日本国民の態度を観察しますと、90%は“その流れ”になっている感じです。
街中インタビュー等を見ても同様で、反応は ほぼ一色です。
 『8人も〜』・・『20年間も〜。』・・・etc...。 日本がかつて犯した罪は 意識の中に入っていません。
この状態では 20年後には“忘却の彼方”となっているでしょう。


もういちど書きます。
拉致された御家族には可哀想ですが、我々日本人が犯した過ちの“報い”として起きてしまった・・と考えるべきです。
 (あるいは、犯した過ちについて、きちんとした【謝罪の念】を国民が意識しないままに過ごしたことの報い)
恨むなら、そのような事を集団(国民・民族)で行なった先人を恨むべきです。
本当は、ここまでに書いた【20年〜30年後の日本周囲の状況】などを考慮をする前に、
純粋に もっと素直に反省すべきです。
 (しかし、それを書かないと納得しない日本人があまりにも多い・・・。)

何十年も「知らぬ存ぜぬ」を続け、徐々に過去の事実が露呈し指摘されてから やっと渋々認め、
それでも 「遺憾に思う」という程度の態度しか表明せず、
若年世代には“犯した過ち”を正しく伝えず 結果として 日本の若者が 韓国・中国・東南アジアなどで横柄にふるまう・・・
このような状況を招く原因を作った世代を恨むべきです。
もちろん、【日本人拉致問題】そのものについては 朝鮮に対してハッキリ主張すべきでしょう。
しかし、現在のように 一方的に北朝鮮を“悪者”として責めるのは良くありません。国際的な見地から判断して“不公平”です。

『北朝鮮が這いつくばってでも謝罪しない限り 国交回復はあり得ない』・・という態度は 厳に慎むべきでしょう。
現実に TVのニュースを見ても、
一方的な北朝鮮側の【国家犯罪の清算】としての報道がなされています(日本のTV)。

物事を【10年後〜15年後の金勘定】で考えれば、日本の現状は“正解”かも知れません。
 (日本が朝鮮を植民地化し 満州に進出・侵略した時もそうだった・・・。)
40年〜50年先のことを考えないと、結果的に、再び 子孫に【負の遺産】を残すことになる可能性が高いでしょう。
西欧諸国も過去に似たような過ちを冒していますが、
大陸文化であるがゆえに 昔々から「侵略したり侵略されたり」の歴史が長く、
テキトウなタイミングで「方針変更しないと大変な事になる」・・という事を 経験的に察知するようです。
 (植民地時代の“終焉”を認識せず 【満州の植民地化】強硬に行ったのも日本でした。)

かつて、そう遠くない時代に、イタリアも エチオピアを植民地化し、日本が朝鮮に対して行ったのと似たような事を行いました。
しかし、北朝鮮・韓国人が日本を恨むほどは、エチオピア人はイタリア人を恨んでいません。
この違いは何に起因するのか・・・そこを考えるべきでしょう。
『朝鮮民族は〜〜だ』などと短絡的に考えずに、エチオピアの被占領時代の歴史と朝鮮の場合とを比較してみると解ります。


================================


このページを開く人は、HP訪問者の5%未満しかいません。

私が HPでこのような事を書いたことにより、
“国粋主義者”や“極右翼的な人々”は、さらに一層 私を“トチ狂った異常者”として物笑いの種として評論するでしょう。
  (他のリンク・検索で訪問する前に、頭から馬鹿にした評論をする事によって HPを訪問させないように仕向ける)
また、私と同様の意見表明するHPが ごく少数 存在していますし、
やや近い見解の人々もかなり存在します。
ただし、何事もそうですが、中間的な人々は 沈黙を守る傾向が強く、
匿名発言が通用することを利用して 【極端な意見+攻撃的】な人ばかりが積極的に掲示板などに書き込む傾向があります。

【日本人に 反省・自重を求め、それを外に向かって発言する人々】の人数比率が せめて3割程度にならないと、
再び、 太平洋戦争に突入する前と似た状況となるのではないでしょうか?。

  ※宗教関係の人達は 何をしているのでしょう? 「祈っていれば良い」と考えているのでしょうか?。
    日本における仏教も、「祈るだけの信仰」ではありませんでした。
    鑑真の時代、 【最先端の“医術”と“科学知識”でも 世の人々に尽くす】・・という理念で 広く普及していったのです。
    単に“お祈り”に専念するようになったのは、宗教が“精神的な逃げ道”として阿片化したからでしょうか?。



日朝の過去の問題について 知らない方もいたでしょうが、こういう問題は 「知らなかった」では済まされません。
『40歳になったら自分の顔に責任を持て。』 という言葉があります。
誰もが“選挙権”を持ち、国政に参加しているのですから、過去の日本人が冒した犯罪についてくらいは 知っておくべきでしょう。
特に、TVの特集番組で“自分の意見”を述べる人や評論家は 波及効果という点で 責任重大です。
あなたの友人・知人で知らない人達には 積極的に教えてあげて下さい。
かつて、知っていても 口を拭ってしまって子孫に伝えなかった人々が多かったから こういう事態になったとも言えます。
こういう現実を直視せずに、
やみくもに 『戦争で苦労した先人のおかげで今日の平和がある』・・などと、馬鹿を言っちゃ困ります。
とてつもない【負の遺産】を子孫に残しておきながら、『先人のおかげ』ですか???。
彼らの世代が“侵略”を行わければ、莫大な金額の“無償援助”をしなくても済んでいるのです。
中国・朝鮮人に恨まれる事も無かったでしょう。

『子供たちが 正しい事を正しい事として認識して育つ』ように、先人が 心掛けるべきです。
“悪い手本”を示してはいけません。
しかし、日本では、モラル・道徳に厳しく生きる人は 疎まれる事が多く、その価値を低く評価される傾向があります。
昨今の“企業ぐるみ詐欺”などを考えて下さい。 一流企業と言われる企業が 率先して悪事を働いているじゃないですか。

北朝鮮の“非”を強調して世界に発信することで上手く立ち回り、
少ない金額の“補償・援助”で済ますことが出来れば 「得をした」と感じるかも知れません。
しかし、“悪い手本”を示すのですから、
結果として 次世代・次々世代がシラケてしまって勉強しなくなったり、不良化が進んだりすればマイナスだと思います。
すでに 今日 そのようになっているのではないでしょうか?。
  (これから後 ますます その傾向に拍車がかかるでしょう。)
これも、本質的に 【子孫に借金を残す】ことになるのではないでしょうか?。


今の“流れ”のままで行けば、
日本が 中・韓・朝の連合でチクられ、米・露が 日本に対して冷たい態度になった時、 中・韓・朝と日本の“国民感情”が衝突します。
このHPに出会う人は 日本人全体の内 ごくごく一部です。
これを読んでいるあなたが共感するならば、
あなた自身が 少なくとも 100人に対してアピール行動を起こすようでないと、多くの日本人の意識は変わりません。
でも、日本人は (他人任せで) 自分では行動しないんですよネ・・・。
という事になると、 確率論で考えれば、 近い将来 まず間違い無く 日本は駄目になり、かつ 危険な国民情勢となります。
 (これを読んでいる あなたがた次第です。)
ニッチもサッチも行かない情勢となってからでは 多分 間に合わないでしょう。
 (日本人は“群集心理”に流されやすいですから・・。 満州に侵略をした時の国民情勢もそうだった。)
「喉元過ぎれば暑さ忘れる」と言われるように 日本人は【忘れる民族】ですから、 年数を経過すると 同じ失敗を何回でもします。


================================


米国とアフガンの問題で、“モラル・道義的”な理想論で米国を批判する日本人が多かったのは 記憶に新しいところです。
ところが どうです・・・。
今回の【日朝の問題】については、日本の方が“非”が大きいのに “モラル・道義”なんか どこ吹く風です。
  (利害得失で自国に影響が小さいと立派な事を言う。北朝鮮の経済力の弱さに付け込む。)
【イラク・アフガニスタン問題】と【日朝問題】での“反応の落差”は何なのでしょうか?
つまり、今回の【日朝問題】と【イラク問題、アフガニスタン問題】の反応の違いで、
日本人は「建前と本音を使い分ける民族」・「その時の都合で“物差し”を極端に使い分ける民族」である事を 
自身で証明して見せたのではないでしょうか?。

【力関係で正義を曲げて相手をねじ伏せた民族】は 力が弱くなった時に 仕返しされるでしょう。
  (ヨーロッパの歴史を見れば わかると思います。)


20年後 あなたのご子息が成人した時に【国際社会から見た時の“借金”】を 残さないためには、何をすべきでしょうか?
ネットで様々なHPを訪問してみると分りますが、
100万アクセスを超えるようなサイトの 多くは “利害得失”や“人間の欲望・野次馬根性”に付け込んだサイトです。
アダルトサイトまでが 【Yahoo】に登録されている有様です。
教育関係・福祉などの問題提起をしたサイトは そのアクセス数が せいぜい 2000〜5000というのが実情です。
行動を起こさず 何もしなかったら、どうなるでしょうか?。
ネットでの行動を考えても、狂信的・攻撃的な思想の持ち主は 一人で20役も30役も演じています。
“誘導された世論”とか“風説”に流される 多くの日本人が間違った方向に行かないために 何をなすべきか、
ご自分で考えて下さい。


=====================================================


「このページは【田中式処置】に無関係である」・・と案内しましたが、全く関係ない訳ではありません。

【損得の勘定】ばかりを優先する 今日の日本の社会通念から離れて、【モラル】を根底に据えて考えれば、
田中式処置が“偽り”であるかどうか・・くらいは判断できるハズです。
 (コンピュータの知識に疎くても。)
単純・乱暴な表現をしてしまえば、
自分自身の人生において 【モラル・道徳】というものを軽んじて生きている人間ほど、他人を 頭から疑ってかかります。
その代表選手が【2chネラー】です。
常に“匿名”で 集団で個人を(日常的に)攻撃している彼らの“溜まり場”的なBBSを訪問し、
そのようなBBSで得た情報を“正しい情報”として認識する事が そもそもの判断ミスです。

朝日新聞(だったと思う)に書かれていた事がありますが、
相手を実名で“名指し”して 自分が匿名で批判する場合、
この行為の社会的正当性があるのは 批判する側が される側よりも【社会的な弱者】である場合だけです。
イギリスでは 【告発する人間】の匿名性を社会的に守るための法律が いちはやく成立している・・との事ですが、
“告発する側”が される側よりも【社会的な強者】である場合には この法律は適用されないそうです。
そりゃそうです。
そんな事を認めてしまっては 時代の流れにも逆行していますし、帝国主義すら容認されてしまうのではないでしょうか。

あるマイナーな小説家を 【2chネラー + 野次馬】が寄ってたかって集団で攻撃した状況を知っていますが、
この小説家はノイローゼになってしまいました。
売れた事について妬むなら、あるいは 「こんな小説 俺にも書ける」と思うなら、 自分も書けば良いのです。
売れるかどうか---は 質の良し悪しだけで決まるものではありません。
仮に 質が劣悪だったにしても、
それで売れたのであれば、潜在ニーズを的確に掴んだという一点だけでも それなりの能力は評価されてもおかしくありません。
  (“悪事”を働いている訳ではありませんし。)
それすらの価値も無ければ 世間の話題にも上らないでしょう。
「こんな小説 俺にも書ける」と思い 実行したら全く売れなかったとすれば、
この人↑は その部分の能力が不足していたのではないでしょうか?。
「こんな小説 価値が無い」と判断するなら 買わなければ良いのです。
本当に価値があるか無いか---を正しく判定できる人間は 世の中で何人もいません。
画家などはその典型です。
死んで数十年後に評価が定まる例は珍しくありません。 ましてや、【公衆便所の落書き】程度の投稿しかできない連中に 正しい判定など不可能です。

売れた後 そして死んだ後で “劣悪な作品”と評価が定まる場合もあるでしょう。
しかし、その場合 本人とその子孫の名誉が傷付くことになります。
政治家での極端な例としては スターリン等もこれに該当するのではないでしょうか?
単純・明解な理屈です。
どの国でもいつの時代にも、【悪党】はいます。 彼らに良心の呵責を感じる事を求めても無理です。
重要な事は 一般の人間が 彼らに惑わされるようでは駄目なのです。






【北朝鮮の問題】+【イラク問題】 に潜む 日本国民の “矛盾、2枚舌”








日本人が いかに【マスコミ・宣伝】に振り回される人種であるか・・・これは 食文化をみると明白です。



多くの家庭で【テフロン加工のフライパン】を使っているでしょうが、私は あんな物 使いません。


ファミリーレストランで “網焼きステーキ” ってあるでしょ。
あれ、見た目は“網焼きステーキ”ですが、ニセモノです。 通常のステーキよりもマズイ代物です。
“網焼き風”にステーキを焼く鉄板が販売されていますが、あんな鉄板で焼いたステーキは ロクなものじゃありません。

なぜでしょうか?
そもそも、ステーキなる物は、
【短時間に 高温で 表面だけを焼き固め、
そのあと 急激にフライパンの温度を下げて、低い温度で 中身をジューシーに半加熱する】というのが 基本原理です。

表面を ジワジワと温めたのでは、肉汁が外に流れ出てしまって マトモなステーキになりません。

この事を念頭に置いて、“網焼き風”に肉を焼く【鉄板】を考えてみましょう。
“網焼き風”にコゲ目を付ける目的で 表面がデコボコに山谷の状態になっています。
この状態で肉を乗せて焼けば どうなるでしょうか?。
肉の表面に 鉄板が触れない部分は 「ジワジワと温められる状態」です。

“生焼け”の状態で  鉄板から引き上げてしまえば、流れ出る肉汁も少ないでしょうが、これは ステーキではありません。
ステーキの“レア”は “生焼け”ということではありません。
ステーキの“レア”は 【蛋白質・血液が凝固してないけど 火が通っている】状態の肉を指します。

“網焼き風”にコゲ目を付ける鉄板で ここまで加熱すれば、肉汁が外に流れ出てしまいます。
炭火を使って焼いた場合は 直接 火が肉にあたるので、そういう事にはなりません。

ファミリーレストランで 網焼き風ステーキを“レア”で注文すると、大体の場合 “中が冷たいステーキ”を出してきます。
これは、指導する人間が ステーキなるものを理解していないからです。
 (客も 不満顔をせずに食べている・・。)

客の目の前で “だだっ広い鉄板”で焼いて食べさせる【鉄板焼きステーキ屋】という種類の店も この手↑の店が多いでしょう。

  ※この原因の一つとして、日本人が “赤身の肉”の旨味を受け止める感性に乏しいからでしょう。
   (味覚音痴の人間が増えたせいもある。)

現代日本人(東南アジア人も)は 主に“油身の旨味”とグルタミン酸の旨味には敏感ですが、イノシン酸の旨味には 鈍感です。
だから、み〜んな マグロのトロは喜んで食べますが、赤身は喜ばない人が多いのです。
 (おかげで、私は 寿司屋さんで 好きな赤身を安く食べることができます。)

江戸時代の日本人の多くは 赤身を喜んで食べ、トロは捨てられるか、値段の点で 庶民が我慢して食べていました。


そういう訳で、私は 【網焼き風”にコゲ目を付ける鉄板】 とか 【テフロン加工のフライパン】は使いません。
【テフロン加工のフライパン】は 単に 横着するための道具です。手打ちで作られた鉄製のフライパンには勝てません。

だから、マトモなレストランで 【テフロン加工のフライパン】を使っているレストランは無いハズです。
このフライパンで きちんと作れる料理と言えば せいぜい 卵焼きくらいです。
卵焼きと言っても このフライパンで“正しいオムレツ”を作ろうとすれば、テフロンが駄目になる可能性が高いでしょう。

 (TVで販売されるフライパンのほとんどは【テフロン加工のフライパン】でしょ。)


鉄のフライパンは“手入れ”をしながら使う必要があります。

 1.洗剤を使って洗ってはいけない。(洗剤で洗うと 次に使う時から 焦げつきやすくなる)
   使った後は、“お湯+ササラ(専用のタワシ)”で 汚れを流し落とし、火にかけて乾燥させる。

 2.時々 油を薄く塗って“カラ焼き”する作業を 何回か行ない、はんぶん炭素化した“油膜”を 補充する。

   【はんぶん炭素化した油膜】とは、簡単に言えば、“粘りのある炭”が フライパン表面に均一に付着した状態 を指します。         





【食べ物】 と 【お酒】 の話


【ほっぺが落ちる・・イカの塩辛  田中流】  【モノを買う相手、職人・調理人】 に対する態度・・について。

【こうすれば まろやか・絶品、 “食アタリ” しない ・・ 蛎(カキ) の調理法】

その他

  ◆ワイングラスの根元は なぜ細いか?。  ◆フランス料理の 【スプーンの作法】 は 誰が決めたの?。

  ◆【マグロ刺身の“色”】 の ゴマカシ  ◆【牛乳の日付け表示】 の ゴマカシ  ◆【牛乳のカルシウムと加熱時間】 と 生命力

  ◆【日本酒】の ゴマカシ  ◆【体に良い味噌、悪い味噌(豆腐)】  ◆【国産チーズ の“偽り”】  ◆【養殖の魚 の“害”】

  ◆【市販のおにぎり の“害”】  ◆【体に良い塩、 悪い塩】  ◆【中華料理の “ウソ”】  ◆【環境ホルモン】

  ◆【体に良いハム、悪いハム(ベーコン)】  ●料理のすすめ●







● 私の【人生観】と【価値観】 ●

【ユーザーID ( star )】 ・ 【パスワード ( 3385 )】 の入力が必要。




【人生観、価値観】のページからの抜粋です。 ↓


先日 林野庁後援の 別のTV番組で、【植林された杉】の森林を舞台に 解説されていました。
『木を間引いて日光が射し込むようにして 下草を生やしてやる事が、“森から流れ出る水”を豊かにすることです。』・・・と。
確かに、下草も ある程度は重要ですが、主役は “下草”ではないのです。

国土面積に対する森林の面積率も 【国土の森林の豊かさ】を示す ひとつの目安ですが、森林面積が広ければ良いわけではないのです。
現在 日本の森林の内 かなりの部分が 【植林された杉】の森です。
針葉樹や広葉樹の分類は誰でも知っているでしょう。 広葉樹の中の1分類として 【照葉樹】 と呼ばれる種類があります。
ブナ ・ クヌギ ・ ドングリ ・ ナラ ・ 樫 ・・・ といった種類の木です。
  (世界遺産に指定されている【白神山地】も この種類の森林です。)
これら【照葉樹】の落ち葉は  堆肥の材料として優秀で、出来あがった堆肥も 他の落葉樹の堆肥よりも価値が高いのです。
つまり、 【森の恵みの出発点】として 優秀なのです。

川の水の出発点として、 森の中の “足元に積み重なったフカフカの枯葉”に雨水が蓄えられた状態が 重要です。
  (この時、 枯葉が 【照葉樹】の枯葉の方が良い。)
下層の枯葉は 微生物によって分解されており、(最後には土になりますが、)
この中をゆっくりと雨水が通過する時に 【ミネラル】が水に溶け、 海に流れ出て、 海草にとっての栄養分(エサ)となるのです。
このような 良好な水が海に流れ出て行く時、水の中には【植物プランクトン】が豊富であり、
これは【動物プランクトン】のエサとなります。
【動物プランクトン】は エビの幼生とか シラス等のエサとなり、それらは小魚のエサとなります。

という訳で、 雑草に近い“下草”なんか生えても、【食物連鎖】の観点からは 大した価値は無いのです。

江戸時代から “真昆布”の産地として有名だった 北海道の道西地域の内  かなりの海域で、 その海底が【砂漠状態】になっています。
それを撮影した録画を見ますと、 海底が “石ころ”と砂ばかりで 何も生えていませんし、魚もいません。
昆布も生えていませんし、航空写真を見ると その地域の海だけが白く写っています。
北海道大学の研究チームによって、 その原因は 【森の荒廃化・森林伐採】にある・・・とされています。
  (週刊誌・TV でも採り上げられました。)
 (・中略・)
広島のカキが衰退しましたが、カキのエサはプランクトンです。
上流の森を粗末にしてれば カキも いずれ駄目になります。(おまけに、瀬戸内海の海水は 外洋の海水と比べて汚い。)
 (・中略・)
このような【自然界の食物連鎖】の観点から判断した時、 杉の森林(特に【植林された杉】)は 価値が低いのです。
 (・中略・)
杉の森林の特徴は、 ブナ・クヌギの林などに比べて、 とにかく 土が痩せています。
  ◇土や落ち葉の中に 虫が少ない。
  ◇土や落ち葉の中に虫が少ないから、それを捕食する昆虫も少なく、昆虫(およびその幼虫)を捕食する小鳥も少ない・・・。
    (杉の林では 小鳥の鳴き声も少ない。)
    杉の木は成長が早く、上へ上へと真っ直ぐ伸びて 上の方で葉を密生させます。
    すると、背が低く 小鳥のエサとなるような実をつける木の成長を抑制してしまいます。
    小鳥が少なければ フクロウ・鷹・鷲 は生きて行けません。
    カブトムシ・クワガタムシを捕獲する目的で 杉林へ行きますか?。 田舎の子は、 杉林へ行っても カブトムシ・クワガタムシの類はいない事を知っています。
     (田舎の子でも “塾通い”をする子は 知らないか?。 笑。)
    杉林へ行っても、 カブトムシどころか カナブンさえ あまり見かけません。
    チョウチョもいません。 毛虫もあまりいません。 地面を掘っても“ミミズ”も少ない。

小鳥や昆虫のエサも無い状態では、その“フン”による微生物の増加・活動も見込めず、いつまでも痩せた土なのでしょう。

ゴミを捨てたりしなくても 木を伐採しなくても、【森の荒廃化】は起き得るのです。
【森の恵みの出発点】として価値の低い樹木ばかり植えていれば、 見た目には“緑の森”でも 【森の荒廃】と似たような事です。
 (・中略・)
ここに書いた程度の内容は、 学者の世界では ずいぶん昔から認識されていた事です。
 (・中略・)
材木需要としては 価格面で とうの昔に日本の杉は商品価値も薄れ、放置される杉林すら多くなっています。
 (杉を伐採した後に また杉を植えても駄目なんです。)

日本の“森林面積”は それなりの数値のようですが、「アッチも杉林、コッチも杉林・・」 の状態です。

ここ数十年 漁獲高は減り続ける一方であり、 莫大な金額を“魚の輸入”に使っているんでしょ。

林野庁、 少しは考えろよ〜!。
特に 指導的な立場の人達は、【机の上】だけで考えずに、自然界の中を 自分の足で歩いて考えて欲しいものです。


世界的に有名な建築家で 安藤さんという人がいます。この方がつい先日 NHKで次のように話していました。

 『瀬戸内海には500ほどの島があるが、ほとんどの島は【禿げ山】です。』
と。
近年 瀬戸内海の島でオリーブの木を植え始めていることは 私も知っていたが、
植える木の種類の選択として、
はたして 【自然界の食物連鎖】の観点から オリーブの木が適切かどうか・・・。
 (オリーブの木について 私はよく知らない。)





.



【Win98se/田中式】



OSは Win98se。  CPU【Pentium 600MHz】。 メモリ 256MB。(PC100)



【マシン性能】 が判明するように録画 ・・・ ⇒ myMB_power.htm




劇場版 あれ(録画ツール)を起動 し、 PCで 'ビデオ録画' を開始・・・


28の作業を 同時に実行!



アプリケーションを複数起動 して 【同時に実行】する能力 が向上,,(安定動作)。





★ 【27分間の動作テスト】 ・・・ 録画ビデオを ダウンロード出来ます。★


 

右上に 「赤いアイコン」が見える。 その右側にも アイコンが 11個 並んでいる。 (ビデオで確認できる。)


“複数データ処理” を実行しつつ、 【追加のアプリケーションを連続で起動】〜実行。


★ 【メモリ管理/複数のタスク管理】 の同時進行 ★

メモリマネージャーは、短時間に起動要求された複数のアプリケーションを起動するために必要なメモリの供給・管理を 一気に開始し、
“複数のデーターを処理するために必要なメモリ管理”も 一気に開始する形になる。
さらに、複数のタスク管理も 同時起動に近い状態となり、 Win98は 【実行中のタスク】を管理しつつ、これらの 【追加分】 も 同時進行で管理する必要がある。

つまり、

全部を起動 しておいて 「よーい、ドン」で実行するより、 このスタイルの方が Win98(se) にとって負担が大きい。





Userリソース残り1%システムリソース残り1%・・・安定動作。



【エラー 無し】 で完走。 (ビデオを見ると判る。)



【田中式/Win98 (se)】 の マザーボード認識。



 
( 安定動作テストの 1場面。)


田中式処置を実行すると、 レジストリの 【マザーボード認識】 が変化 して “マザーボード認識の情報量”が増える。


レジストリの 【マザーボード認識】 の変化 と “マザーボード認識の情報量”については、【第2トップページ】で解説。
(レジストリの 【システムデバイス認識】 も変化するが、 “システムデバイス認識の変化”については 田中式処置を実行すれば わかる。)

マザーボードの【レジストリkey】は HKEY_LOCAL_MACHINE\Enum\Root\*PNP0C01\0000 (システムボード)。
  (システムボード と マザーボード は同じ意味。)



【田中式処置】 の 実行後 の 【マザーボード認識 (レジストリ)】







通常の Win98/Win98seでは レジストリの【マザーボード認識の項目数】は 9項目。

(田中式処置を行うと 25項目に変化する。)



君の Win98/Win98seでは この状態 (99%) である。






君の Win98/Win98seで 確認する方法

1. 【ファイル名を指定して実行】 〜  regedit と入力。 〜  【OK】 を押す。

2. 起動した 【レジストリエディタ】 の 左側ウィンドウで、

   HKEY_LOCAL_MACHINE 〜 Enum 〜 Root 〜 PNP0C01 〜 0000  の順番に フォルダをクリック (マウスの左ボタンで押す) する。






.

★田中式処置を実行した 【Yahoo掲示板 “トピ主”,,SfcCom氏】 の談話。

 ( 2002年1月,2003年1月 投稿。 SfcCom [男性]  2台のPCに 田中式処置を実行。)


Win98se/田中式処置で “驚異的な安定性”が生まれ、 WinXP・Win2000 とは違った安定感がある。

WinXPの不安定では、 私の周りの人も 結構 悩んでいるが、
 
田中式処置後のWin98seは 動作が軽快で、 リソースの不足にも強くなり、【残りリソース=1%】でも 平然とフリーズしない。
 
長時間の 【高負荷/連続運用】でも Win98seが フリーズする事は無くなる。

( WinXP で こんな事が出来ますかね〜。)
 

【動作テスト】を ビデオに記録して 証拠を残されているので、 見てはどうでしょうか?。






以下、【Yahoo掲示板】より抜粋。


私は TV放送の技術系の仕事をしているが、 ビデオキャプチャーで大切な事は PCをハングアップさせない事。
リアルタイム放送物は 二度とキャプチャー出来ないので 一発勝負であり、OSが落ちては困る。 だから、私は Win98seに 特にこだわる。

田中式処置により、Win98に“驚異的な安定性”が生まれる。もっさりとしたNT系OSの安定感ではなく、動作が軽く リソース不足に強くなる。

『今更、FAT32〜〜』と思う人もいるだろうが、安定動作と天秤に掛ければ、安定動作を優先するのが ビデオキャプチャーの世界である。
私自身は、“田中式OS再構築法”と その理論を支持する。

一番好きな Windows系OSは Win98seで、次が Win2000(sp3)である。
編集については Win2000(sp3)が一番安定感があり、編集に限り愛用している。

私は 2台のPCに田中式処置を実行したが、 私のビデオキャプチャー環境では Win98se(田中式)が“ベスト”であった。

XP なんて“ナンセンスなOS”だと考えている。WinXPの安定動作は 長い歳月を要するのでは?。





★ SfcCom氏 の投稿。↓

	◆ビデオキャプチャーと OSの安定動作。

	◆私の周囲も、WinXPの動作-不安定に悩む。

	◆田中式 Win98se の安定動作 = WinXPより安定動作。

	◆超-安定動作〜SfcCom氏のPC(Win98se)。

	◆田中式 Win98se の安定動作は 驚異的。


★Yahoo掲示板 ⇒ ビデオキャプチャー・カードの部屋








田中式 Win98/Win98se 安定化〜安定動作


証人の署名画像



  


 






超-安定化 Win98se 〜 安定動作テストの意義




 
安定動作の判定では、 データの計測は 技術的検証に役立たない.
 
   チューニング前後で、 【パソコン環境・ドライバ】 など 同じ条件で比較〜重要。
 





 告発!






24フレーム/秒で 【証拠のビデオ】 に録画 した!・・。







ビデオからの切り出し画像 30枚で 動作テストの様子を窺えます。

クリック  クリック


 
◇【同時実行テスト  手順と映像】 ・ 【ハードウェア構成】

(【田中式処置】 → Win98 安定化  ・・ その後 ・・ 動作テスト。)




動作テスト 最後の9分間 は、 レッドゾーン 及び それを 通り越した状態 での作業。



トップページ  

 


無料ダウンロード・・・【Win98se/Win98 安定化の手順書】 (半自動) ★














 










( 内部トップページ )






証言/証人/署名